2023.7.14 仏教に興味がなくとも楽しめる 【生死の覚悟】
生死の覚悟(新潮新書)[ 高村薫 ]
評価:2
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■ヒトコト感想
高村薫が生死や仏教について僧侶である南直哉と語る。「空海」や「太陽を曳く馬」などでもわかるように、作者は仏教をテーマとした作品がある。様々な人生経験から仏教に行き着いたのだろう。元キリスト教徒というのは意外だった。
阪神大震災を経験し、死生感がかわる。対談相手である南直哉のことはよく知らないが有名な僧侶らしい。どちらかというと、高村薫よりも南直哉の言葉の方が印象深い。僧侶として現在の不幸は前世での悪行が影響していると信者に聞かれた時に、何も答えられなかったと。。。現世で不幸なのは、前世の悪行のためというのは仏教の考え方なのだろうか。そうしなければ、現在の不幸に耐えきれないため、どこかに逃げ場を求めたいのだろう。
■ストーリー
「師と出会ったことで、不信心についての私の苦がいくらか薄らいできているのを感じる。この歳でまた少し生まれ変わったようなもの」(高村薫)、「同時代に彼女がおられることは、救いとしか言いようがない」(南直哉)。ある作品を媒介に作家と禅僧が出会い、七年越しの対話が始まった。信心への懐疑、坐禅の先にあるもの、震災とオウム……はたして仏教は、人生のヒントとなるか。実存の根源的危機が迫る時代に、生死の覚悟を問う。
■感想
高村薫と南直哉は「太陽を曳く馬」などのシリーズを読んで交流をもつことになったらしい。彰之シリーズの主人公が南直哉と同じような境遇だったために、他者から南直哉に取材して描かれた小説だとまで思われたらしい。
南直哉本人もそう思うくらいなのでよっぽど近い境遇なのだろう。作者自身はこの手の作品を書く時は、全く取材せずすべて自分の頭の中で作り上げるらしい。となると、よっぽど南直哉が良く知られたテンプレの境遇ということになるのだが…。
仏教や死生観について語られている。印象的なのは僧侶である南の言葉だ。坊さんは様々な場面で相談されることがある。どれだけ難解な相談だとしても、坊さんは必ずなんらかの答えをださなければならない。仏教というバックグラウンドがあるにせよ、悩みに必ず正しく答えるのは難しいのだろう。
自分の信念から外れる答えを言わなければならない時の苦悩はすさまじい。南が常に袈裟を着た状態でいろと師匠から言われたのは、常に自分は坊さんだという意識を植え付けるためなのだろう。
震災やオウム真理教の話など、宗教や死生観に関わることが語られている。基本的には何かしら仏教の知識がないと辛いかもしれない。何か人生を変えるような大きな出来事に出会うと、人は宗教に傾倒してしまうのかもしれない。
自分は今のところ宗教に興味はない。それでも、心が耐えられないほどの出来事に遭遇した場合、逃げ道として宗教に走るのかもしれない。また、坊さんは万能ではないというのがわかる。坊さんも、それなりに葛藤があり、難しい問いかけをされると悩むようだ。
仏教に興味があるのなら…。
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