地下鉄に乗って


2007.7.7 都合よいタイムスリップ 【地下鉄に乗って】

                     

評価:3

■ヒトコト感想
浅田次郎原作は未読だが、いずれ読むだろう。タイムスリップもので過去の父親と出会うというパターンはよくあるのだろう。流星ワゴンもその類だった。ある意味ありきたりなパターンなのかもしれないが、本作はそれ以外にも様々な人々との絡み合いがある。過去にタイムスリップする条件が一切不明で、少しご都合主義的に感じる部分はあるが、そこは気にしてはいけないのだろう。憎しみしかなかった父親象に、新たな一面を発見するが、それは父親が死ぬ直前だった。まあ、予想通りの流れだが、少ししんみりしてしまうのは役者の演技の賜物だろう。

■ストーリー

いつもと同じ会社からの帰り道。地下鉄を降りて駅の階段を上がると、そこはオリンピック開催に沸く昭和39年の東京だった―。真次(堤真一)に突如訪れた、現実とも夢とも信じがたいタイムスリップ。真次は恋人みち子(岡本綾)とともに過去へ戻り、そこで若き日の父(大沢たかお)とその恋人お時(常盤貴子)出会う。時空を超える旅を続けるうちに明らかになる、父の真実の姿。そして真次とみち子との間に隠された、驚くべき秘密。それは、二人の愛に過酷な選択肢を突きつける、あまりにも切ない運命だった…。

■感想
昭和39年、主役は堤真一。これってそのままALLWAYS 三丁目の夕日だろう。同じような役柄で雰囲気も似ていると、どうしても比較してしまう。単純に比較はできないが雰囲気を比較すると本作は負けているだろう。ただ、本作のポイントは若き日の父親に出合うということなので、力の入れ方が違うというのはある。

この手の作品で気になるのは、タイムスリップをする上での条件だ。何かをすれば過去に戻れるという明確な条件がないと、どうしてもご都合主義に感じてしまう。ちょうどバタフライエフェクトのように何か明確にしていれば、その部分でもまたエピソードが作れるはずだが、本作はそのあたりを重要視していない。なぜか突然恋人のみち子も一緒にタイムスリップしたり、タイムパラドックスを無視したり。最後まで見ればその理由がなんとなくわかるが、この時点では疑問でしかなかった。

もう一つ違和感を言えば、父親役を大沢たかおがやっていたということだ。堤真一と親子だといわれても、どうもピンとこなかった。タイムスリップした場面での二人はかなりはまり役だったが、
現実に戻ったときのすわりの悪さは、全体の雰囲気を壊す原因だったような気がした。

タイムスリップして若いころの父親と会う。この手の作品では感動すべきポイントにはことかかないし、簡単にできるだろう。ただ、本作はその感動を思う存分味わえるかどうかは微妙だ。複雑に絡み合った人間関係や、新たにわかった悲劇的事実など、物語を面白くする材料はたっぷりあるが、うまくそれらを料理できなかったような印象を受けた。

原作を読んでいたら、また違った印象なのかもしれない。



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