2017.4.1 妖怪が世に現れた場合のシミュレーション 【嘘実妖怪百物語 破】
評価:3
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■ヒトコト感想
序から続く物語。妖怪が当たり前のように人の前に姿を見せる日本はどうなっていくのか。前巻では見えないはずの妖怪が見え、映像としてネット上に動画がアップされたりもする。そんな状況で京極が謎解きを行うのだが…。写真や動画を撮った場合、撮影者の思考がデジタルデータを変換させるらしい。そのため、フィルムの写真では妖怪は映らない。
見た人のイメージがそのまま映像化される。そのため、水木マンガや昔からある伝統的な妖怪の姿をしている。強烈なのは、荒俣宏が巨大ロボの学天則に乗って街を移動する場面だ。誰かの思考がテレビの映像として流れる。実際には、荒俣宏は学天則には乗っておらず、ただ街を歩いているだけだとか…。こんなことがありえるのか。すさまじい世界になっている。
■ストーリー
富士の樹海。魔人・加藤保憲の前に、ある政治家が跪いていた。太古の魔物が憑依したその政治家に、加藤は言い放った。この国を滅ぼす、と―。妖怪が出現し騒動が頻発すると、政府は妖怪を諸悪の根源と決めつけ、駆逐に乗り出す。世相は殺伐とし、民衆は暴力的となり、相互監視が始まる。妖怪専門誌『怪』関係者は、この異常事態の原因究明のため、村上健司らが入手した呼ぶ子を出現させる謎の石の研究を続けるが…。
■感想
妖怪が世間に出回ると、人々は恐れおののき、駆逐に乗り出す。東京都知事の仙石原が何かにとりつかれたような描写があり、妖怪専門誌「怪」の関係者たちは右往左往し始める。ちまたに妖怪があふれたからといって、妖怪関連の関係者たちが襲われるというのもすごい。
世間では、今まで目に見えない架空の存在と思われた妖怪が、目の前に現れるとどうなるのか。京極が妖怪の謎を解き明かすのだが、これが説得力があるのかないのかよくわからない説明となっている。写真や動画を撮影した人の意識が電子データに異常を与え、画面上に妖怪があらわれる。
妖怪を認識する主体の違いによって妖怪は姿を変える。テレビや映像として登場する妖怪は、なぜか見る人の世代によって違った形をしている。それは、その時期に流行った物やメディアの影響となる。デジタルデータのみ影響を与え、アナログデータには影響ない。そのため、フィルムの写真には写らない。
強烈なのは、同じロジックで荒俣宏が学天則の巨大ロボに乗り込み街を歩くシーンだ。これも妖怪と同じように誰かがそう認識してテレビカメラに映したことから、テレビではマジンガ―Z的にロボに乗る荒俣宏の姿が見えている。実際には荒俣宏がただ歩いているだけらしい。
妖怪絡みで、「怪」関係者が暴徒と化した群衆から襲われることになる。なんだかとんでもない状況ではあるが、あいまにユーモアが交えてあるため、ちょっとギャグっぽくも感じてしまう。本来ならば何かわけのわからない事象について、妖怪のせいにしてそれを勝手に想像した姿が妖怪のはずだが…。
ラストでとうとう水木しげるが登場してきた。恐らく次巻の「急」で解決へと導かれるのだろう。それにしても京極の説は的を射ているようでいて、かなり無理がある。妖怪が世にあふれた場合のシミュレーションとしては正しいのだろうか??
妖怪関係者が襲われるというのも、かなり強引だ。
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