終戦のローレライ1 福井晴敏


2008.9.23  映画と原作の違いは… 【終戦のローレライ1】

                     
■ヒトコト感想
過去に見た映画作品の原作を読むときは、かならず映画を見た感想がどうだったかを確認してから読むことにしている。本作に限って言えば、世間の評判はどうであれ、自分の中ではそれなりに楽しんでいたようだ。実際には原作と映画の趣はかなり違っている。キャラクターの一人ひとりをしっかりと描いたり、”ローレライ”とは何なのかということに対する重み付けの違い。映画は映画で良いとは思うが、どうしても子供だましのように感じてしまう。まだ序章に過ぎない本作。ここまででも、描かれた世界観の重みは映画とは段違いだということを感じることができた。これから始まる重厚な物語に挑む楽しみもあるが、専門用語の難しさにはちょっとまいってしまった。

■ストーリー

1945年、夏。彼らは戦っていた。誰にも知られることなく、ただその信念を胸に。昭和20年、日本が滅亡に瀕していた夏。崩壊したナチスドイツからもたらされた戦利潜水艦・伊507が、男たちの、国家の運命をねじ曲げてゆく。五島列島沖に沈む特殊兵器・ローレライとはなにか。終戦という歴史の分岐点を駆け抜けた魂の記録が、この国の現在を問い直す。

■感想
映画を見た印象は、それなりに面白いが所詮ファンタジーに溢れているアニメ的展開だと思った。本作も本質は変わらないのだが、同じ設定であるにしても、そこにいたるまでの過程がしっかりと描かれ、ローレライに関わる人々の生い立ちから現在までの心境を読ませられると、すべてに不自然さがないように感じられた。潜水艦内部での不衛生極まりない環境を映画で感じることはなかったが、ほんの一ページ程度の説明が入るだけで、潜水艦内部の劣悪な環境が手に取るようにわかってしまった。全ては作者の筆力のなせる業なのだが、そこが原作と映画の違いなのだろう。

小難しい専門用語と頭の中に思い浮かべるしかない登場人物たちの表情。映画での配役をイメージしようと思ったが、正直、誰がどの役をやっていたのかなんてことは、とっくの昔に忘れていた。そうなってくると、頭の中にはオリジナルの登場人物たちが縦横無尽に動き回る。潜水艦同士の激しい戦闘では、どこか「沈黙の艦隊」をイメージしたり。潜水艦内部での、ちょっとしたいざこざでは作者の過去のキャラクターを思い出したりと、好き勝手にできるところが原作の良い部分でもある。

まだ序章にすぎない本作。正直言うと、このローレライシステムという部分には納得していない。リアルな世界を描いているはずのものが、そこだけ変に浮いているように感じてしまうからだ。今のところはローレライシステムのファンタジーな部分はまだ見えてこない。もし、映画を見ていなければ、全容が明らかになるまで、かなりワクワクどきどきしながら読んだことだろう。タネを知っているだけに、衝撃は半減する代わりに、映画を見たときに感じた違和感を原作では感じることはないだろう。今後、ローレライシステムの全容が明らかになると、どんな感想を持つのか楽しみだ。

映画を見ていなければなお楽しめることは確実だが、別物としてその世界にどっぷり浸かるのも良いかもしれない。

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