世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 下 村上春樹


2006.6.29 現実か夢の世界か? 【世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下】

                     
■ヒトコト感想
上巻でうすうす感じていたが、”世界の終り”という世界と”ハードボイルド・ワンダーランド”という世界は予想通りリンクしていた。二つの世界観にどっぷりとはまり込み、”世界の終り”では自分の影という存在と自分の心との葛藤。そして”ハードボイルド・ワンダーランド”では暗闇の中、”やみくろ”から必死に逃げ惑うハラハラドキドキ感。正直、いつ残酷なまでの殺戮シーンが登場するかとドキドキしていた。最近読んだ村上春樹作品では例外なく登場していたので、きが気ではなかった。変にこねくり回されることなくシンプルな展開なので今まで村上春樹作品を意味不明と感じていた人は読んでみるといいだろう。

■ストーリー

〈私〉の意識の核に思考回路を組み込んだ老博士と再会した〈私〉は、回路の秘密を聞いて愕然とする。私の知らない内に世界は始まり、知らない内に終わろうとしているのだ。残された時間はわずか。〈私〉の行く先は永遠の生か、それとも死か?そして又、〔世界の終り〕の街から〈僕〉は脱出できるのか?

■感想
自分の意識が自分の意思に関わらずどこか別の世界へ入り込んでしまう。そして一度入り込んだ世界からは二度と脱出することができない。それもあと24時間後に・・・。絶望的な状況に追い込まれても”ハードボイルド・ワンダーランド”の世界の主人公は焦ることなくどこか心を落ち着け、あきらめているような雰囲気すらある。しかしその諦めは全てをやりつくしたうえでの諦めではなく無気力感とその現実を受け入れてしまう気質にあるように思えた。目の前で部屋が破壊されてもただビールを飲み続ける。それは抗いようのない現実を素直に受け入れているとも思えた。

自分の心が消滅するのを受け入れ、そして不安も苦しみもない代わりに喜びや感動もないある意味ユートピアのような世界にとどまることを良しとするのか。”世界の終り”という世界で、引き離された自分の影から根拠はないが、どうにかしてここを脱出して心を取り戻さなければならないと言われ、最初はそれを信じていた。ユートピアのような世界からあえて苦しい現実に戻る必要があるのか、人間が安易な場所に流れていきがちな部分を表しているように思えた。

最終的には”ハードボイルド・ワンダーランド”の世界から”世界の終り”の世界へ入り込む主人公。”世界の終り”での最後の決断をもし違ったものにしていたら、もしかしたら”ハードボイルド・ワンダーランド”の世界がどうなっているかは別にして、辛く苦しい現実が待っているだろうが、その中には充実感と喜びを含んだ生活ができたことだろう。

現実を受け入れるか夢に逃げるか、そんな二者択一を迫られているような気がした。




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