本当の翻訳の話をしよう 


 2019.9.23      一人称は私?俺?それとも僕? 【本当の翻訳の話をしよう】

                     
本当の翻訳の話をしよう / 村上春樹 / 柴田元幸
評価:2
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■ヒトコト感想
翻訳作品を読んだことがあり、なおかつ興味がなければ辛いだろう。作中では対談形式で村上春樹と柴田元幸が好きな海外文学作品について語っている。このあたりで登場してくる海外作家について初めて知るようであれば本作を読まない方がよいだろう。フィッツジェラルドとかカポーティくらいは知らないと辛い。

さらにいうなら村上春樹が翻訳している作品を読んでおいた方が楽しめるだろう。柴田元幸と村上春樹の訳し方の違いの比較があり面白い。自分の中では村上春樹の翻訳は村上春樹節が強すぎるように感じた。すんなり読めるのは柴田元幸の方だ。翻訳者はどのような考えで翻訳しているのか。一人称のIについて、俺と訳すのか私とするのか、はたまた僕とするのか悩むというのは翻訳独特な悩みだろう。

■ストーリー
村上春樹と柴田元幸の対談集、ついに刊行決定。文芸誌『MONKEY』を主な舞台に重ねられた、小説と翻訳をめぐる対話が一冊に。

■感想
海外小説をある程度読んでいないと辛いだろう。村上春樹と柴田元幸が翻訳について語る。最低でも有名海外作品を読んでいないと辛い。冒頭から海外作家の名前がバシバシ登場してくる。有名なヘミングウェイやカポーティやフィッツジェラルドだけでなく、最近の海外作家についての話題も登場してくる。

それぞれ、どのような作家が好きかやどこが気に入っているなどが語られている。登場してくる作品のどれかを読んでいないとイマイチこの作品に入り込めないだろう。

作中では村上春樹と柴田元幸が同じ原文を読んでどのように翻訳するかを対比できるようになっている。同じ英文でも訳者が違うとこうも印象が変わるのかと驚いた。村上春樹の翻訳作品はいくつか読んだことがあるのでいつもの村上春樹の雰囲気を感じることができた。

この人は何を訳しても自身の色が強いので、訳した文章を読んだだけでわかってしまう。対して柴田元幸の方は癖がなく非常にシンプルで読みやすいような気がした。柴田元幸の翻訳作品は読んだことがないが、興味がわいてきた。

印象的なのは、原文の一人称をどのように訳すかという部分だ。Iを私とするか俺とするか僕とするか。村上春樹が訳すからすべて僕になると、それはそれで作品のイメージが大きく変わってしまう。

訳者がその作品を読むときにどのようなイメージを頭に思い浮かべるのか。また、日本語のニュアンスの問題もあるので、それなりに神経を使う部分なのだろう。翻訳には時間がかかり、それ以外にもさまざまな制約がある。原文があるだけに、他者が見て間違いを指摘することもできる。非常に気を遣う作業だ。

翻訳に興味がある人は読んでみるとよいだろう。



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