神坐す山の物語 浅田次郎


 2015.5.10      山奥の神官屋敷、それだけで神秘的だ 【神坐す山の物語】

                     
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■ヒトコト感想

奥多摩の御岳山は登ったことはある。伯母が語る昔話を現代の子供たちが怖がりながら楽しむという流れだ。山奥にある神官屋敷というだけで、何かしら恐怖のイメージがある。神聖なものと共に、得体の知れない恐怖がある。田舎の巨大な屋敷で、いわくつきの部屋や、見たこともない人が大勢寝泊りするなんてのは、それだけで未知の世界だ。

山奥の屋敷というだけで、神聖なもののように思え、現代の科学では理由がつけられることも、雰囲気でオカルト的なイメージとなるのだろう。子供への教育のための教訓的な話かと思いきや、そうでもない。昔話の恐ろしさというのは、昔だからこそ恐ろしいというのがある。科学万能の現代ではこの雰囲気はだせないだろう。

■ストーリー

奥多摩の御嶽山にある神官屋敷で物語られる、怪談めいた夜語り。著者が少年の頃、伯母から聞かされたのは、怖いけれど惹きこまれる話ばかりだった。切なさにほろりと涙が出る極上の短編集。

■感想
御岳山にある神官屋敷での出来事なので、オカルト的なものがメインなのだが、中には時代の流れを反映したものもある。「天狗の嫁」は、行き遅れた伯母のなんとも言えない気持ちを描いた作品だ。親が決めた結婚相手と添い遂げるのが当たり前の時代に、駆け落ちして幸せな結婚をした妹。

姉はというと、行き遅れとなり、天狗の嫁にでもなって出て行ってもらいたいという雰囲気が蔓延する。昔の行き遅れは、今とは比べ物にならないほど風当りは強いのだろう。妹との比較による姉の物悲しさを感じる作品だ。

「見知らぬ少年」は、典型的な昔話的流れだ。大勢のお客様が集まる屋敷で見ず知らずの子供と仲良くなる。子供の名前は「かしこ」と言う。それは昔死んだはずの子供だった…。医療が今ほど発達していない昔では、子供の死は日常茶飯事だったのだろう。

子供が、亡くなったはずの子供と遊ぶ。本来なら自分の伯父に当たる人物との邂逅は、子供たちにどのような心境の変化を与えるのか。強烈なインパクトはないが、なんとなく気持ちがほっこりするのは確かかもしれない。

「宵宮の客」は、屋敷に突然やってきた山伏の物語だ。フラリと訪れた山伏が、屋敷を拠点として修業をする。その苦難に満ちた修行は、いつ終わるとも知れない。山伏の修行の過酷さと、屋敷で働く者たちとの関係がすっきりと描かれている。

特別な力を持つ祖父が見抜いていた山伏の行く末。山伏がどうなるか知りつつも、修行者を邪険に扱えないと考える屋敷の者たち。子供の目から見る山伏のストイックな姿が、強烈に描かれている。山伏と神官との違いや、過酷な修行を経てたどり着ける境地の特殊さが描かれている。

奥多摩の山奥にある神官屋敷。それだけで神秘的なものを感じてしまう。



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