ヒトでなし 金剛界の章 京極夏彦


 2016.3.31      ヒトでなしの男が教祖となる? 【ヒトでなし 金剛界の章】

                     
ヒトでなし(金剛界の章) [ 京極夏彦 ]
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■ヒトコト感想
娘が事故死し、妻には離婚をつきつけられ、ヒトでなしとののしられた男・慎吾。自分はヒトでなしだとつぶやきながら自暴自棄となる。自暴自棄な慎吾の前に、同じく人生に悲観した者たちが現れる。負のオーラは負の者たちを惹きつけるのか。慎吾は単純に何もやる気がなく自暴自棄となり、死にたいと言う者たちに「死ね」と言う

なぜかそれが相手の心に突き刺さり、いつの間にか慎吾は破たん者たちの教祖のようになる。この流れは新しい。人として異常なものたちばかりが集う場所。たどりついたのは山奥の寺。そこでも異常な者たちの考えは変わらない。まるで禅問答のようにヒトでなしの男が、他者に対して突き放したアドバイスを送る。それは到底アドバイスではないが、なぜか相手の心に響く。

■ストーリー

理屈も倫理も因果も呑み込む。この書は、「ヒトでなし」の「ヒトでなし」による「ヒトでなし」のための経典である――。娘を亡くし、職も失い、妻にも捨てられた。俺は、ヒトでなしなんだそうだ――。そう呟く男のもとに、一人また一人と破綻者たちが吸い寄せられる。金も、暴力も、死も、罪も――。

■感想
自暴自棄となった男・慎吾。いつ死んでも良いし、他人が死のうが気にしない。そのスタンスで日々を過ごす。となると、会社が倒産し莫大な借金を背負わされた男は、慎吾を利用しようとする。そして、莫大な遺産を相続したせいで婚約者と破断した女は、自殺しようとする。

その女に対しても慎吾の考えは変わらない。そして、いつの間にか女は慎吾の突き放した言葉の数々に感銘を受ける。何もかも捨てた者は、ある種の悟りを開いたような状態なのだろうか。どのような人物であっても慎吾を論破することはできない。

自傷癖のある少女は、慎吾に「死ね」と言われ、まさに殺されようとする。そこから、なぜか生きる決意を強く持ち立ち直っていく。さらには、自分の兄貴分であるヤクザを慎吾の目の前で刺殺した男は、慎吾にすべてすがりつく。

人生の破たん者たちがたどりついたのは、これまた連続殺人者や異常者が逃げ込んだ寺だ。ここでも、数々の異常者たちを相手に慎吾の言葉は続く。ただ、すべてにやる気をなくしてどうでも良いという気持ちになっていただけのはずが、異常者たちのよりどころとなる。この流れに奇妙な面白さがある。

ラストの流れはまさに奇妙だ。事故死したかと思われた娘が実は殺されていた。その犯人を目の前にして慎吾は…。ヒトでなしとののしられ、すべてにやる気をなくした男は、娘を奪った殺人者を前にして復讐の鬼と化すのか…。

副題に「金剛界の章」とあるので、もしかしたら続くのだろうか。慎吾は教祖というタイプではないが、異常者たちのよりどころとなる。すべてにやる気をなくすことが、悟りを開いているとイコールとは思わないが、何事にも動じないその姿勢は、妙な魅力がある。

続くのか続かないのか、気になるところだ。



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