峠うどん物語 上  


 2012.9.12    人の死を身近に感じる場所 【峠うどん物語 上】

                      評価:3
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■ヒトコト感想

火葬場の近くに店をかまえる「峠うどん」。そこで手伝いをする中学生のよっちゃん。よっちゃんの目を通して、火葬場にまつわる人々のエピソードが語られている。ありきたりなお涙頂戴物語ではない。火葬場の近くだからといって、葬式のしんみりとした悲しみばかりではない。悲しみを空元気でごまかしたり、過去の思い出の人との出会いを回想したり、最後になにをすべきか考えたり。人が死んで悲しむだけではない。残された人の人生観だとか、周りの人の思いというのを、単純に描くのではなく、少し遠回りする感じて描いている。そのため、単純なストーリーを予想していると、意外な展開に驚かされてしまうかもしれない。

■ストーリー

中学二年生のよっちゃんは、祖父母が営むうどん屋『峠うどん』を手伝っていた。『峠うどん』のお手伝いが、わたしは好きだ。どこが。どんなふうに。自分でも知りたいから、こんなに必死に、汗だくになってバス停まで走っているのだ。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。そして『峠うどん』の暖簾をくぐるたくさんの人たちが教えてくれる、命についてのこと―。

■感想
いくつかの章に分かれた本作。それぞれが短編形式で、なんらかのテーマがある。冒頭の「かけ、のち月見」は、まさに火葬場の近くという位置が、峠うどんの客層を表している。悲しみなのか、強がりなのか。死者と近しい立場ではないが、なんとなく家に帰りたくない、そんな人たちが集まる場所が峠うどんだ。客たちの微妙な心境が描かれており、油断するとその奥底に隠された意味を読み逃す可能性がある。中学生には難しいだろうと思われる心境も、よっちゃんのおじいさんとおばあさんが時には厳しく語り、聴かせる。大人でも気付かない微妙な心境がすばらしい。

「トクさんの花道」は深い。認知症を発生させ、死ぬ間際の別れた妻に会うべきか、会わないべきか。娘から必死に頼まれれば、せめてひと目でも会ってやろうというのが人情だろうが、そうはならない。最初は、単純に意地を張っているだけかと思った。が、作者に限ってそんなオチはない。会わないやさしさというのが、あとでしっかりと説明されたのだが、大人の、それもかなり人生経験をつんだ人でないとわからない心境かもしれない。まだ30代の若造には、トクさんの境地には決して達せないと思った。

「メメモン」は、まさに小学生が直面する問題だ。ふと、思い出すと、自分も同じような時期に葬式を経験している。どうして良いのかわからず混乱するのはよくわかる。そんな小学生の微妙な心理を、作者は的確に表現している。もしかしたら、本作を読んで、同じような感覚になる人は多いのではないだろうか。ちょうど時期的に、物心つき、人が死ぬということの意味を深く考え始めるが小学校高学年だ。優等生の女の子が、自分の心のもっていき方に困惑する。読むと、小学生の頃に戻ったような気持ちになる。

下巻も本作と同じように、短編が続くのか。それとも、連作として最後に何か大きな変化があるのか、楽しみで仕方がない。




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