豆腐小僧  


 2011.5.26  妖怪が存在する理由 【豆腐小僧】

                      評価:3
京極夏彦ランキング

■ヒトコト感想

子供向けだが、妖怪に関する考え方の基本が描かれている。妖怪とはどういったもので、どんな理由があり存在しているのか。物語自体は単純明快で、子供が読んでこそ楽しめる作品かもしれない。しかし、妖怪がそこに存在する理由など、大人が読んでも納得するものだ。今までなんの気なしに読んでいた妖怪作品について、実は妖怪が生まれたのにはちゃんとした理由があるということだ。それは作者のファンの間ではもう常識かもしれないが、基本をおさえておくという意味では、本作を読むのも良いだろう。映画の豆腐小僧とはまったく違う内容らしいが、妖怪としての知名度が低い豆腐小僧を主役にするあたり、作者のこだわりのようなものを感じずにはいられない。

■ストーリー

研究所で働く母親と一緒に夏休みをすごすため、山の中にある村に来た妖怪好きの少年・淳史は、ヒマつぶしに村はずれの廃屋を訪れた。「妖怪がいるといいなあ」そう思った瞬間、豆富小僧は、ぽん、とその場にわいたのだった!淳史を追って外に出た小僧は、いろいろな妖怪たちと出会う。一方淳史は謎の組織・FF団により誘拐されてしまう!大騒動に、どうする小僧!?

■感想
淳史少年と豆腐小僧。この手の物語だと、少年と妖怪の交流が描かれるのかと思いきや、そうではない。妖怪は妖怪として妖怪の世界だけで会話し、人間は人間社会の出来事にほんろうされる。妖怪は人間の行動にまるで副音声のごとく割り込んでくる。それに気付かない人間たちは、自分たちの今、目の前に起こっている出来事に右往左往する。妖怪は人が想像したその瞬間から存在するというのは、知らなかった。作者のファンとしては知っておくべきことだったのだが、これほどはっきりとその原理を理解したのは、本作を読んだからだ。

妖怪の存在意義とは、人間が何かわからない現象に直面した時、理由をつけるために存在する。ということらしい。確かにそう思えば、すべての妖怪に説明がつくような気がした。幽霊やおばけとはまたちがう、妖怪として存在する意味。淳史の母親が、研究所で天気を自由自在にあやつるシステムを研究するというのも、妖怪に少し絡んでいるように思えた。突然の雨や、天変地異には妖怪の存在が不可欠だ。天気を自由にあやつるというのは、妖怪を根本から消し去るということに繋がるのだろう。

本作を子供が読んでどう思うだろうか。夜、怖くてトイレにいけないという妖怪嫌いの子供には、効果があるかもしれないが、妖怪をはなから信じていない子供には、理路騒然とした理由づけとなるのだろうか。なんだか妖怪がいないといのも夢がないし、いるというのも無理がある。本作のように少しだけ夢を与える意味で、人が妖怪の存在を頭に思い浮かべた瞬間に、妖怪がいるというのはすごく良い考えかただと思った。考えることをやめてしまうと、妖怪はいなくなる。それは妖怪の伝承が途切れてしまうことを意味しているのだろう。

子供向けだが、妖怪のことを考えるには良い作品かもしれない。




おしらせ

感想は下記メールアドレスへ
(*を@に変換)
*yahoo.co.jp