2013.1.7 代理出産の是非を問う 【マドンナ・ヴェルデ】
評価:3
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■ヒトコト感想
代理出産の物語。「ジーン・ワルツ」から続く物語として、作者の主張が描かれている。代理母問題の本質を突いている作品だとは思うが、結局いきつくところは、夫婦の問題のように感じられた。ジーンワルツの主人公である理恵が、自分の子どもを実の母親にたくす。日本の法律の問題点や、代理母を成立させるための様々なハードルなど、わかりやすく描かれている。が、物語から感じるのは、理恵の人間味のない合理性の塊のような考え方だ。人の親になるというのはどういうことなのか。子どもを生むということのリスクを感動的に描いた前作と比べると、システム的な部分にばかり焦点が当てられているようで、終始違和感をちながら読んだ。
■ストーリー
「ママは余計なこと考えないで、無事に赤ちゃんを産んでくれればいいの」平凡な主婦みどりは、一人娘で産科医の曾根崎理恵から驚くべき話を告げられる。子宮を失う理恵のため、代理母として子どもを宿してほしいというのだ。五十歳代後半、三十三年ぶりの妊娠。お腹にいるのは、実の孫。奇妙な状況を受け入れたみどりの胸に、やがて疑念が芽生えはじめる。「今の社会のルールでは代理母が本当の母親で、それはこのあたし」。
■感想
子どもを生めない体の女性が、代理出産に頼りたくなる気持ちはよくわかる。そして、現行の法律では、様々な問題があるのもよくわかる。作者の主張する理論でいくと、遺伝子上の親子が優先されるということなのだが、となると別のリスクも考えずにはいられない。他人の体を使い、子どもを生むというリスク。それが、そのまままかり通るなら、仕事を続けたい女性が、金の力で他人に子どもを生ませるという世界が存在してしまうかもしれない。非常に難しい問題だが、本作を読むことで、その問題自体を知ることができたのはよかったのだろう。
前作、ジーンワルツでは、子どもを生むことの難しさが描かれていた。本作では、子どもを生むことよりも、代理母が日本の法律で認められないことが間違いだと叫んでいる。そして、その論理を破綻させないために、理恵を冷たく合理性だけを重んじる女性に仕向けている。なんだかこの強烈なキャラクターというのは、前作では感じられない部分だった。母親というのは、合理性だけではやっていけないというイメージと、理系女性のロジカルな考え方のチグハグさをもっとも印象深く感じてしまった。
代理母といえど、遺伝子上の父と母が存在する。本作では、その親たちが合理性ばかりを重視し、崩壊しているように思えた。何が正しいのかはわからないが、自分の遺伝子を引き継いだ子どもが、この世に存在していればそれで良い。というのは、人の親としては納得できない。物語を最後まで読んでも、そのあたりかすかに補完されてはいるが、それでも合理性を優先しているように思えた。作者が医者という立場から、制度的な問題にメスを入れたいと思い、このようなキャラクター構成にしたのだろうが、違和感ばかりを覚えてしまった。
みどりが平凡な主婦として食事を作るシーンは、そこだけぽっかりと浮かび上がるように、人間味にあふれていた。
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