希望ヶ丘の人びと  


 2011.12.12  中途半端なエリート感 【希望ヶ丘の人びと】

                      評価:3
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■ヒトコト感想

ニュータウンで暮らす親子の話なのだが、様々な要素が詰まっている。いじめ、モンスターペアレントに親子関係の問題に…。作者得意の展開だが、本作の特徴として間違いなくエーちゃんの存在があるのだろう。亡き妻の初恋の相手であり、親父となって頭がハゲても、エーちゃんの行動は普通ではない。正直、エーちゃんの存在は物語を面白くするためなのと、どんよりと沈みがちな世間に、根拠のないパワーのようなものを与えかったのだろうか。希望ヶ丘での生活は、エーちゃんの存在がなければすべてが陰鬱で辛いものとなっていたはずだ。閉塞感に包まれたニュータウンの二世代目。それは現在のあちこちで存在している現象なのではないだろうか。リアルな部分と非リアルな部分のバランスが絶妙だ。

■ストーリー

いじめ、学級崩壊、モンスター・ペアレント、家族の死…。70年代初めに開発された街・希望ヶ丘…そこは、2年前にガンで逝った妻のふるさとだった…。亡き妻の思い出のニュータウンに暮らす父子を描く感動長編。

■感想
ニュータウンに二世帯目が登場しはじめたころ、そこへある一つの家族が引っ越してくる。希望ヶ丘という名前のとおり、希望のある生活であればよいが、そこには溜まったうっぷんの吐き出し方がわからず、池の底に沈殿するヘドロのような閉塞感に満ち溢れている。ごくあたりまえに登場するモンスターペアレント。正論を振りかざし、とことんまで自分の強い立場を主張する。これが現実に存在するのが恐ろしい。希望ヶ丘という中途半端にエリートな場所であればこそ、その存在がクローズアップされるのだろう。

娘が中学三年という微妙な年齢のころに希望ヶ丘へやってきた家族。父親が塾の教室長となり、塾の経営の難しさに直面する。あからさまにいじめを表現するのではなく、中途半端なエリート意識からか、なんとなくギクシャクしたものを感じてしまう。このなんでも中途半端というのが、ニュータウン二世帯目の特徴なのかもしれない。正直、この中途半端感は、自分を中流と思っている人たちにとっては心地良いのかもしれない。へんなプライドを捨て去ることのできなかった家族たちが住む場所。それが希望ヶ丘のように思えてしまった。

本作の閉塞感をぶち破るのは、間違いなくエーちゃんの存在だ。中途半端なエリート意識をぶち壊す、なんでもありな行動。常識的に考えれば、大人がとる行動ではない。やんちゃな中学生が、少しだけ世間を知るが、そのままなんのしがらみもなく大人になったような感じだ。そんなエーちゃんのハチャメチャな行動によって、希望ヶ丘もすてたもんじゃないと思えてくる。エーちゃんに感化される子どもたちや、父兄だけでなく教師たちまで、非現実的だが、こんなニュータウンがあっても良いのではないかと思わせる流れだ。

希望ヶ丘というの名が、なんとも皮肉に感じてしまう。




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