十字架  


 2011.12.29  遺書に書かれた親友の文字 【十字架】

                      評価:3
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■ヒトコト感想

かなりディープな作品だ。いじめ自殺を扱う作品は数あれど、本作のタイプはあまりないだろう。自殺した少年が残した遺書に”親友”と書かれた少年の苦悩。自殺したフジシュンがなぜ自分を親友と書いたのか。フジシュンの両親や弟から突きつけられる言葉。普通に考えれば、いじめの首謀者として遺書で名指しされた少年が苦悩するのはわかる。そうではなく、”親友”や”思いを寄せる人”として名前を書かれるというのはどういったことなのか。いじめを苦にした自殺の周辺で巻き起こる出来事は、外野が思っているほど軽いものではない。一生おろすことのできない十字架を背負わされた少年は、どうなっていくのか。今までこんな作品は読んだことがない。

■ストーリー

あいつの人生が終わり、僕たちの長い旅が始まった。中学二年でいじめを苦に自殺したあいつ。遺書には四人の同級生の名前が書かれていた―。背負った重荷をどう受け止めて生きればよいのだろう?悩み、迷い、傷つきながら手探りで進んだ二十年間の物語。

■感想
いじめを苦にした自殺。そこに残された遺書。たとえ親友と書かれていても、親友と名指しされたからこそ、”見捨てた”という十字架を背負うことになる。いじめ自殺が発生した直後、言い訳を並び立てるように、怒りを生徒にぶつける教師や、周りの人の反応。マスコミの取材攻勢と、教師たちの事なかれ主義。ごく当たり前に目にする光景なのかもしれないが、その裏では当然さまざまな葛藤がある。普通に思うのは、遺書にいじめの首謀者として名前を書かれた少年の苦悩だが、本作ではそこにはほとんど触れられていない。

自殺したフジシュンの家族たちの行動もまた異常に感じられた。これが当たり前の反応なのかもしれないが、首謀者の少年たちを排除したい気持ちはわかる。そればかりか、親友と名指しされた少年に対しても怒りをぶつける気持ちというのは理解できなかった。親としたら、親友が助けさえしてくれれば、息子は死なずにすんだと思うのだろう。そこから始まる苦悩の日々。両親たちが少しでも少年を許す気持ちがあれば、少年もそこまで十字架を背負い続けることもなかったのだろう。

遺書に名前を書かれるということは、どんなことであろうと、その人にとってはとんでもない影響を与えることになる。たとえ良いことだったとしても、死ぬ直前の気持ちをすべて受け止める覚悟がなければ、受け入れられないだろう。それが、いじめ自殺の遺書となればなおさらだ。ふと思うのは、首謀者と書かれる方が親友と書かれるよりはっきりした立場でいられるのではないだろうか。相手が親友と思っていながらこっちは全然その気がない。勝手な片思いでの結末として、これほど後味の悪いものはない。それを真っ向から描いた本作のすさまじさは衝撃的だ。

いじめ自殺をあつかう作品としては、新しい切り口だ。




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