悼む人 下  


 2013.9.2     死とは何なのか考えずにはいられない 【悼む人 下】

                      評価:3
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■ヒトコト感想

上巻の流れから大きくはずれることはない。人の死を悼む静人と、それに影響される人々。死とは何なのか。上巻で登場した時点では、他人を思いやる心など何ひとつ持ち合わせていないような男が、下巻では大きく変わっていく。静人に影響される人々が詳細に描かれている。心に大きな変化を見せる蒔野。末期がんに苦しむ巡子。そして、静人と旅を続ける倖世。それらすべてが心に大きな変化をもたらすことになる。

読者は静人の行く末を見守り、心の中で理想的な結末を思い浮かべることだろう。そのどれも裏切るように、次々と決着がついていく。人の死を扱う場合、悲しみを伴うのは当然だ。本作は、死を悼む静人の心のうちが語られていないだけに、読者はそれを想像するしかない。

■ストーリー

「この方は生前、誰を愛し、誰に愛されたでしょうか?どんなことで感謝されたことがあったでしょうか?」。静人の問いかけは彼を巡る人々を変えていく。家族との確執、死別の葛藤、自らを縛りつける“亡霊”との対決、思いがけぬ愛。そして死の枕辺で、新たな命が…。静かな感動が心に満ちるラスト。

■感想
静人に感化されつつある雑誌記者・蒔野。記事の書き方や他人への接し方が変わる反面、自暴自棄になることもある。自分が死んだとき、自分のことを覚えていてくれる人がいるのだろうか。この感覚は、天涯孤独な人物ほどそう思うのかもしれない。

静人に出会ってしまったばかりに考えが変わり、その先に大きな変化がある。蒔野が最終的に幸せだったのかどうかはわからない。が、静人に出会わなければ、確実に違った結末になっていたことだろう。静人に出会ったことで悪人が善人になる。その結果、幸せになれるかどうかは別問題だ。

人の死を強烈に印象づけるのは間違いなく静人の母・巡子の存在にある。末期がんで、孫を抱くまで生きながらえようとする。ガンで弱っていく描写というのは辛い。どんな延命処置をしたとしても、じわじわと弱っていく体。目が見えなくなり、口がきけなくなり、聴力だけが残る。

人の死を悼む静人が、自分の母親の死に目に会えないのは、作者の強烈な主張を感じてしまう。普通のお涙ちょうだい物語ならば、最後の最後に静人と出会えるはずだ。読者を感動させるために描いているのではないというのが伝わってきた。

静人の死を悼む旅に何かしらの決着がつくものと思っていた。が、最後の最後まで変わることはない。普通の青年らしい面を見せたかと思うと、悼むことを辞められず、苦悩する。静人の修行僧のような行動に、読者も感化されるが、心まで引きずられることはない。

自分が死んだら、誰かが自分のことを覚えてくれるのか。それを心配する心は理解できない。が、死者を無条件に悼む姿というのは、無限の慈悲の心のようで、強烈なインパクトがある。なぜ、静人は人を悼み続けるのか。その答えは本作で描かれることはない。読者ひとりひとりが、考えるべきことなのだろう。

死とは何なのか、考えずにはいられなくなる。




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