赤猫異聞 浅田次郎


2013.2.3     自由を手にした罪人たち 【赤猫異聞】

                     
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■ヒトコト感想

幕末から明治へ移り変わりの時期。火事による解き放たれた三人の重罪人。江戸時代。一度火事が発生すると、木造家屋が隙間なく連なる環境では、火を消すすべがない。となると、あとは逃げるしかない。火事が発生すると、罪人たちもいったんは牢から解き放たれる。タイトルの赤猫というのは、本来なら放火魔をさすようだが、本作では火事で解き放たれた者たちを含めてそう呼んでいる。三人の重罪人が解き放たれるにあたり、ある条件がつけられる。それぞれ解き放たれ、娑婆で何をやろうとするのか。自由を手にした罪人たちが、どう行動するのか。時代ならではの考え方というか、面子や義理を重んじる心というのがヒシヒシと伝わってくる感動作だ。

■ストーリー

火勢が迫る伝馬町牢屋敷から解き放ちとなった曰くつきの重罪人―繁松・お仙・七之丞。鎮火までいっときの自由を得て、命がけの意趣返しに向かう三人。信じられない怪事が待ち受けているとは、知る由もなく。―幕末から明治へ。激変の時をいかに生きるかを問う、最新長編時代小説。

■感想
火がせまり解き放たれる。この解き放ちという儀式自体の特殊さや、放たれた罪人たちが鎮火後に帰ってきた場合は、罪がひとつ軽くなるというしきたり。今では考えられないが、江戸時代での火事の脅威を考えれば、うなずけることだろう。一度火がつけば、あとは自然鎮火するのを待つしかない。そんな状況では、おとなしく牢屋で捕らえられていては、火の手が回り、あっという間に焼け死んでしまうのだろう。解き放ちのハードルの重さというのは、作中でしっかりと語られている。

普通の罪人とは別に、解き放ちを躊躇される三人の重罪人がいる。この三人のそれぞれの思惑というのが、物語を面白くしている。三人が鎮火後帰ってくれば、三人とも無罪となる。ただし、ひとりでも帰ってこなければ、残りの者は死罪となる。三人の中には、もともと島流し程度の罪の者もいる。そして、三人とも帰ってこなかった場合は、土壇場で三人の解き放ちを進言した男が打ち首となる。この条件で、三人は本当に帰ってくるのか。ゲーム理論のような、相互に作用しあう状況で、それぞれはどのような答えを出すのか。かなり気になる状況ではある。

物語は単純な損得勘定だけでは動かない。三人が娑婆で何を目的として行動するのか。ある者は復讐、ある者は使命。目的を達成するまでの過程に紆余曲折があり、過去を回想する形で語られているので、冷静な中にも、その瞬間の心の機微がジワジワと伝わってくる。そして、三人が帰ってくるこないに関わらず、解き放ちを主導した男がどうなるのか。読み終わると、理不尽のように感じるが、時代に生きる侍の魂を感じずにはいられない。最後の場面では、「なぜそこまで?」と思わずにはいられない。

解き放ちという儀式の奇妙さと、それに関わる侍たちの生き様が感動を呼び込む作品だ。



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