象と耳鳴り 恩田陸


2010.6.27  驚くほど強引な推理 【象と耳鳴り】

                     
■ヒトコト感想
推理小説を読む場合は、どれだけ驚かせてもらえるのか、そしてトリックや謎解きに整合性があるかを求めてしまう。本作は一人の男を主人公とした短編推理小説が多数収録されている。久しぶりに読む本格推理小説は確かに面白かったのだが、同時に強引すぎる展開に驚いてしまった。ある出来事の説明だけを聞き、そこからとんでもない想像力で推理を働かせる。常人であれば思いつかない部分まで勝手に想像している。そこに必然性はないのだが、作中でさも当然のように繰り出される説明に納得させられるかもしれない。推理小説とはここまで強引なことでも許されるのだろうかと、一瞬思ってしまった。ひとつひとつが非常に短いのでサラリと推理小説を楽しむにはうってつけかもしれない。

■ストーリー

「あたくし、象を見ると耳鳴りがするんです」退職判事関根多佳雄が博物館の帰りに立ち寄った喫茶店。カウンターで見知らぬ上品な老婦人が語り始めたのは、少女時代に英国で遭遇した、象による奇怪な殺人事件だった。だが婦人が去ったのち、多佳雄はその昔話の嘘を看破した。蝶ネクタイの店主が呟く彼女の真実。そしてこのささやかな挿話には、さらに意外な結末が待ち受けていた…。

■感想
作者の作品をいくつか読んでいるが、ここまで強引な作品はない。短編ということで、謎を提示しそれをすぐに解かなければならないので強引になってしまうのだろう。謎を複雑にすればするほど、その答えを導き出す際にはある特定の一本道を歩くしかない。他の状況を想像することすら許されないのだ。AだからBだ。というのが必ず成り立つ世界。そこで実際にはAだから必ずBとは限らないのだが、本作ではB以外の選択肢は示されていない。本来なら、ひとつひとつ他の選択肢をすべて潰した上でBという結論をだすのだろうが。ページ数の関係で問答無用にBという結論となっている。

一人の主人公を中心に様々な状況で推理を繰り出す。特別印象的なのは、親子で推理ゲームをする場面だ。息子があるシチュエーションについてたずね、それに答える父親。普通なら考え付かないことを、強烈な想像力で勝手に物語を構成する。勝手な想像のはずが、現実にまったく同じ状況となり推理は正しかったとなる。多少伏線らしきものはあるが、うならされるようなものではない。会話の中に登場する推理に対する根拠も飛躍しすぎており、どうしても他の状況が気になってしまう。物語にきっちりとした整合性を求める人には向かないかもしれない。

「象と耳鳴り」が表題となっているのはなぜだろうかと考えてしまった。推理モノとして特別印象的ではなく、どちらかといえば推理とは別のベクトルのような気がした。関根多佳雄が看破したのは、象を怖がるということであって殺人事件を解決したわけではない。人の心理の奥底まで勝手に想像してしまう。本人がいない状況でそこまで突飛な発想をし、なおかつ周りが納得するのもすごすぎる。これが推理小説の醍醐味といえばそれまでだが、最後の最後まで強引な印象は拭い去れなかった。

短編ばかりなので、サラリと飽きずに読めるのは確かだ。



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