走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹


2009.5.15  走ることについて考える 【走ることについて語るときに僕の語ること】

                     
■ヒトコト感想
作者がジョギングを趣味としていることは知っていた。そして、マラソンを走っていることも。自分も同じランナーとして(にわかだが)共感できる部分も多い。ただ、圧倒的に感じたのは、フルマラソンのタイムを向上させるのは難しいのかということだ。まだフルマラソンを走ったことのない、にわかランナーとしては、ある程度最終目標とするタイムがある。そんな中、作者は毎日十キロ走りながらも、タイムが上がらない。そんな部分を見せられると、駄目かなと思ってしまう。作者のマラソンに対する意気込みというのはものすごいものを感じるし、到底太刀打ちできないと思う。ただ、目標タイムに対する希望が失せ、ちょっと体に気をつけて走らなければと思ったくらいだ。同じランナーとして読むと、違和感を感じる部分が多々あった。

■ストーリー

1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロ・マラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう?日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれたのか?

■感想
作品自体は非常に楽しく読むことができた。トライアスロンは未経験だが、水泳も好きだしフルマラソンにも挑戦しようとしている初心者ランナーにとっては楽しめる作品だ。ただ、作者のキャリアや練習量からして、このフルマラソンのタイムはどうなのだろうかと疑問に思ってしまう。年齢的なものもあるのだろうか。自分が最終目標とする以前の作者のタイム。しかし、作者ほどの練習量をこなせないものとしては、もしかしたら駄目なのかという思いが強くなった。作者のタイムは決して遅いものではない。しかし、キャリアと練習量と意気込みを考えると、もう少し良くてもよいのではないだろうか。

もう一つ思ったことは、練習には注意しなければならないということだ。作者は体が頑丈らしい。しかし、体への激しい負担も言及している。それを考えると、確かに無茶はできないと思う。ろくに準備運動もせずにいきなり走るのはやめ、ゆっくりならしながら徐々にスピードを上げるのが良い。しかし、ここ最近のトレーニングでは作者のキロタイムには到底およばない遅いタイムとなっている。この状態で余裕があるわけでもなく息がはあはあ切れてしまうのだ。練習量が足りないというのはそのとおりだが、なんだか先は長く感じた。

作者のチャレンジ精神には毎回驚かされる。ウルトラマラソンやトライアスロンなど、まぁ、挑戦してみたいという気持ちもわからなくもない。ただ、疲れるのは確実だろう。小説家という職業とマラソンというのはどうにもイコールにはならない。アクティブな印象がないからだ。一つのことをコツコツとやり続けることが大切なのだということはよくわかる。しかし、作者が走るのはもっとそれらを超越した何かおいしいご褒美があるから走るのだろうか?なんて思えてしまう。ある意味、極度のM気質なのかもしれない。これは自分にも当てはまることだが…。

走ることについて何かを考えている人は読んでみると、新しい答えが見つかるかもしれない。



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