フィジーの小人 村上龍


2009.4.21  精神に異常をきたす世界 【フィジーの小人】

                     
■ヒトコト感想
不思議で奇妙な世界。もしかしたら人の精神に異常が生じる場合は本作のようになるのだろうか。フィジーの小人が生きる世界と、その小人が読む物語の世界。二つの世界はリンクしているようでありながら、無関係のようにも感じる。ヌワーバが経験する様々な出来事。めくるめく快楽の世界へ落ちていく小人。それと共に、物語のスクスクも奇妙な経験をする。不思議な世界でありなら、非常に筋道を立てて興味深く読むことができた。それが後半になるにしたがって次第に崩れていく。人が精神に異常をきたす場合は、本作のようになるのだろうか。主語が次々と変わってき、今は一体誰のことを話しているのか。異常を異常と感じさせない雰囲気すらある。後半の流れはまさに恐怖の一言につきる。

■ストーリー

南海の小島フィジーで観光客相手に芸を見せるワヌーバは、イギリス人の商人とフィジーの洗濯女との間に生まれた。やはり小人だった母方の祖父の記憶はワヌーバを浮き立たせる。謎の中国女、サディストの女市長シンビア・タッカー、心の鎧をはぎとられて、ワヌーバはめくるめく快楽の世界へ陥ちてゆくのだが。

■感想
二つの世界が同時に動くというのは世界の終わりとハードボイルドワンダーランドに近いと思った。しかし、いくら不思議といっても中盤までは物語のストーリーをしっかりと追いかけることができ、SMや不思議な快楽の世界を楽しむことができた。ある意味壮大であり、ある意味めちゃくちゃだ。しかし、普通の人が考えられる世界ではない。本作のような虚構の世界をまともな人がまともな感覚で書くともっと無理矢理な感じがするのだろう。ごく自然でありながら、異常すぎる世界だ。

人によっては本作の中に登場する異常な人々や快楽の表現に嫌悪感を覚えるかもしれない。作者のほかの作品を読んで、ある程度耐性ができているために、平気だったが、かなり強烈なことは間違いない。両手両足を切断された男や、強烈なニンフォマニアなど、常識では考えられない登場人物たちが盛りだくさんだ。もはやこの世界では常識は通用しない。なんとなく頭の中に思い浮かんだのは、精神病の患者が画用紙にクレヨンで書きなぐった虚構の世界の風景のように感じられた。それほど、強烈な何か異常性のようなものが感じられた。

後半はさらに異常性が増している。今までであれば、それなりに筋道はあった。しかし、後半からラストにかけては、監禁されたヌワーバが自分を異常か正常なのか、判断に迷うという場面はすごすぎる。話ながらだんだんと会話が成り立たなくなってくる。何について話しているのかわからなくなってくる。反省はすべきではないとか、会話し続けなければならないとか。常人には理解できない部分だ。もしかしたら作者はどこかで精神に異常をきたした人との会話を参考にして、本作を描いているのかもしれない。そういった意味では、わけがわからないが、異様な迫力があるという部分では忠実なのかもしれない。

異常なパワーを持つ作品であることは間違いない。



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