奪取 下 真保祐一


2010.6.16  その万札は偽札かもしれない 【奪取 下】

                     
■ヒトコト感想
上巻では偽札を作ることの難しさと、盲点を突く、機械を相手にした偽札作りを描いていた。本作では偽札作りに励みながらも、ある出来事によりすべてが仕切りなおしになってしまう。壮大な物語のようで実はとんでもない労力と時間をかけながら、たいした成果を手にしていない主人公たち。顔を変え、名前を変えてまで復讐しようとする執念。その復讐方法が偽札を相手につかませるというのも、微妙だ。誰にも気付かれない精巧な偽札を作るという意気込みで始まったはずが、いつの間にか偽札はどんなに精巧に作ったとしても偽札だとばれることが前提となっている。偽札作りの複雑さと、その労力に比べるともっと効率の良い方法があるのではないかと、しみじみ感じてしまった。

■ストーリー

ヤクザの追跡を辛うじて逃れた道郎は、名前を変え復讎に挑む。だがその矛先は、さらなる強大な敵へと向かい、より完璧な一万円札に執念の炎を燃やす。コンピュータ社会の裏をつき、偽札造りに立ち向かう男たちの友情と闘いを、ユーモアあふれる筆緻で描いた傑作長編。

■感想
復讐のため、顔を変え名前を変え偽札を作る。相手に対しての激しい復讐心や執念に比べると、その矛先が偽札作りというのがいかにも本作らしいやり方だ。金を手に入れたいわけではなく、相手を始末したいだとかでもない。単純に偽札で騙したいだけだ。偽札作りがどれほど手間と労力と時間がかかり、その反面リスクが大きい。ここまで力をかけるのならば、もっと他にはるかに効率的な方法があるだろうにと思ってしまう。それほど、精巧な偽札を作るということにすべての力を注いでいるのが本作だ。

どれだけ力をかけて精巧な偽札を作ったとしても、すぐにバレてしまうというのが本作のスタンスだ。復讐のために相手に偽札をつかませるのも、バレることが前提にある。相手を出し抜くことに五年以上の時間と、顔と名前を賭ける。信じられないほど無謀なことだが、逆にロマンを感じてしまう。作者があとがきで書いているように、今の印刷技術であれば精巧な偽札作りは可能なのだろう。ただ、そのリスクと労力を考えると、別のことに力を注いだほうが良いと思うのが普通かもしれない。本作はそんな普通ではない人々の物語だ。

偽札を完成させ、あとはウハウハとならないところが、本作の良いところかもしれない。どんなに計画がうまくいったとしても、最後の最後でつめが甘く、下手をうつ。今までの努力がすべて水の泡だが、そのことに悲観し嘆き悲しむでもなく、あっけらかんとしているのがいい。無駄な努力だとわかっていても、自分が満足できればそれで良い。実益がなかったとしても、そこにロマンさえあればどんな困難にも立ち向かうことができる。現代の利益優先や、効率主義の中で忘れかけていた熱い気持ちをほんの少しだけ思い出すことができるかもしれない。

今後、万札を見るたびに、偽札か確認してしまうかもしれない。



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