40-翼ふたたび 石田衣良


2010.2.16  中年版IWGPだ 【40-翼ふたたび】

                     
■ヒトコト感想
IWGPが若者向けならば、本作は中年版IWGPとでも言うのだろうか。四十歳の喜一が始めたプロデュース業。依頼は様々なものがあり、ほぼIWGPのマコトがやっていたトラブルシューターとスタンスは変わらない。ただ一つ決定的に違うのは、依頼者が四十歳ということだ。若者にはない、中年ならではの悩み。引きこもりなどは若者にも関係しているが、四十歳の引きこもりと二十代の引きこもりはわけが違う。中年であれば誰もが考える、子供のことや自分の人生のこと。そして、人生の折り返し地点であり、いやがおうでも死という文字がちらついてくる。中年が爽やかに全力で何か新しいことをはじめようとする。このパワーは同じ中年に元気を与えるかもしれない。若干IWGPテイストが強すぎるような気もするが、元気がでる作品だ。

■ストーリー

人生の半分が終わってしまった。それも、いいほうの半分が。会社を辞めて、投げやりにプロデュース業を始めた喜一・40歳の元を訪れる、四十代の依頼人たち。凋落したIT企業社長、やりての銀行マン、引きこもり…。生きることの困難とその先にある希望を見つめて、著者が初めて同世代を描いた感動長編。

■感想
プロデュース業というは、まさしくなんでも屋だ。IWGPにおいてマコトがやっていたトラブルシューターとなんら変わりはないだろう。池袋の今を描いたIWGP。対して、中年の今を描いた本作。強烈なインパクトはないが、ジワジワと心に染み渡る。それはおそらくIWGP世代よりも本作の世代にだんだんと近づいているからではないだろうか。一時は時の人となった元IT社長。社長を愛するAV女優。起業したオタク男に、二十年以上引きこもっていた男など。四十という年齢ならではの、強烈な個性をもったキャラクターたちが悩みを語る。

四十という年齢は、人によってとても大きく差がでる年代だろう。家族をもち、子供の成長を楽しみにする親もいれば。いまだに親に養ってもらっている四十もいる。四十をもう人生の楽しい部分をすごしてしまった惰性で生きる年代と思う人もいれば、今から何か新しいことを始めようと、力強い四十もいる。このあらゆるパターンの中年たちが、それぞれの四十歳という感覚で悩みを語る。若干現実的ではないと感じる部分もあるが、それを凌駕するパワーがある。プロデュース業という名目のなんでも屋である喜一が、自分の年齢を感じながら頑張る姿は、妙に元気づけられる。

年齢的に体を病魔に蝕まれる場合もある。本作では、IWGPでは決して登場しないであろう、病死というものにも触れている。四十という若さでありながら、病死しても別に不思議ではない。この微妙なハザマの感覚を、絶妙に表現している。若すぎるというほどの年齢ではなく、死に対して後悔はない。しかし、まだまだ長くても良い人生。若いころには遥かかなたの存在と思っていた四十という年齢は、実はあっという間にやってくる。そうなったとき、はたして四十という年齢をポジティブにとらえることができるのか、それは本作を読むことでできそうな気がした。

中年ならではの物語だろう。




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