殺人の門 東野圭吾


2006.8.27 人が殺人にいたるまで 【殺人の門】

                     
■ヒトコト感想
人はどんな時に殺意を感じるのだろうか。突発的に頭に血が上る場合か、本作の田島のように自分の不幸の元凶に対する怒りか。倉持に怒りを感じながらも、殺人を実行する直前になるとその怒りが終息していく。普通の人間ならば殺人の門と言われる境界線を越えることができない。田島の人生の中での度重なる不幸が全て倉持のせいだとは思わない。自業自得の部分もあるのだろうが、人間は自分が不幸に陥った原因を誰かのせいにしたがる。人が怒りに我を忘れることはあるが、殺人が実行されるのはその人物が殺人の門をくぐるだけの素養があるかないか。それに尽きる。

■ストーリー

「倉持修を殺そう」と思ったのはいつからだろう。悪魔の如きあの男のせいで、私の人生はいつも狂わされてきた。そして数多くの人間が不幸になった。あいつだけは生かしておいてはならない。でも、私には殺すことができないのだ。殺人者になるために、私に欠けているものはいったい何なのだろうか?人が人を殺すという行為は如何なることか。

■感想
雰囲気はあの名作白夜行に似ている。田島の知らないところで倉持が暗躍し、田島に数々の不幸を招いている。まさに倉持が白夜行での亮二に思えて仕方がなかった。両者とも優れた能力を持ち、それなりに成功するのだが危険な道を渡ることを止めようとはしない。しかしニ作品の決定的に違うところは白夜行は最後まで誰が裏で糸を引いていたかを明言しなかったが、本作ではあっさりと倉持が全てを裏で操っていたとう記述がある。これによって白夜行とはまったく違った趣の作品となっている。

田島の不幸がすべて倉持のせいだとは思わない。きっかけは倉持かもしれないが、結局は田島の自業自得で最後にはやりきれない怒りを誰かに責任転嫁しないと気がすまないような雰囲気を感じた。田島の積み重なった怒り。確かにそれも判るが、やはりどうしても突発的な怒りの方が強いような気がしてならない。読んでいて共感できるのは倉持に対する怒りよりも、そのつど
起こったことに対する突発的な怒りかもしれない。

田島の平凡ながら不幸が続く生活。次はいったいどんな不幸が訪れるのか、この幸せはいずれ崩れるのだろうと読んでいる間中、ハッピーエンドでは終わらないことをかなり早くから予想できた。倉持の描かれ方もあからさまな悪人ではなく、田島に対してはどちらかというと好意的な描写も多い。不幸な田島と幸せな倉持。対象的ではあるが心の中では境遇以上の差があったのかもしれない。それはもしかしたらご主人様と召使のような思いなのだろうか。

人が殺人に至るまでの動機を考えるのは難しい。しかし本作の田島の行動に誰しも共感できるかというと僕はそうは思わなかった。




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