霧笛荘夜話 


 2008.7.7  めぞん一刻に匹敵する 【霧笛荘夜話】  HOME

                     

評価:3

■ヒトコト感想
一つの話が終わると、その話に登場した人物が次の話の主役となる。数珠繋ぎのように物語は流れていく。時間軸が交錯するため、多少の混乱はあるにしても、霧笛荘に滞在する人々の悲喜こもごも。というかほとんどがどこか、物悲しさを感じさせるような話ばかりだ。浅田次郎お得意の泣かせ技。一人ひとりの人生にはそうなる理由があり、何が原因でそうなったのかは曖昧である。霧笛荘に住む人々はなぜ引越ししないのか、なぜそこに住み着くのか。それぞれのエピソードを読んでいると、離れられない理由をぼんやりとだが感じることができる。十代、二十代の若者では感じることのできない、哀愁のようなものをかもし出す本作。これは中高年であれば間違いなく感動できるだろう。

■ストーリー

とある港町、運河のほとりの古アパート「霧笛荘」。誰もが始めは不幸に追い立てられ、行き場を失ってこのアパートにたどり着く。しかし、霧笛荘での暮らしの中で、住人たちはそれぞれに人生の真実に気づき始める――

■感想
ホステス、ヤクザ、売れないミュージシャン、おなべなど。それぞれのエピソードには特徴的な人物が主役となっている。一つ一つの話はそれほど感動するものではないかもしれない。しかし、物語全体を通して読むと、自分の心の盛り上がりが段々と大きくなってくることを実感するだろう。必然的に最初のエピソードよりも後半のエピソードの方が印象に残っている。それは、つまり今までの積み重ねから物語の流れが、しんみりと泣かせる土壌を作り上げているからだろう。

あざといような泣かせではない。じっくりとそして、知らないうちに心に染み渡ってくる。あまりにもゆっくり過ぎて、自分がどこで感動したのかわからなくなる場合もある。ボロボロのアパートであるはずの霧笛荘なのだが、なんの気兼ねもなくどんな人であっても受け入れてくれる、とても大きな母性のようなものさえ感じてしまった。管理人である婆さんが他人のプライベートをあれこれ詮索するわけでもなく、かといってほっぽりだして知らん顔というわけでもない。傷ついた人が一番心地よい距離感をわかっている人の素晴らしさなのだろう。

ボロアパートというと、すぐにめぞん一刻を思いだしてしまう(歳がばれるが…)。あのとてつもない仲間意識というのは霧笛荘には存在しないが、それでも、めぞん一刻に負けないほどの強烈な連帯感というものを感じてしまう。偽名で過ごす生活。それをわかっていながら、お互いがお互いを尊重し合う世界。常識では考えられないことがこの古ぼけたアパートには存在しているのだろう。心に傷を負った人が集まるアパートでもあり、暖かくむかえてくれる母なる存在でもある。なんだか、無償の愛を感じてしまったのは極端だろうか。

最終的にはずいぶんとハッピーエンド的な終わり方なのも、読後感が良い理由なのだろう。



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