モザイク


2006.12.14 人には見えない何か 【モザイク】

                     
■ヒトコト感想
一般的に精神が病んでいると思われる人々が実は真実を見ているのかもしれないという話だ。三部作と言われているコンセント、アンテナ、そして最後にこのモザイクが登場する。ばらばらのように思えるが何かしらの統一感というものを感じることができる。前二作品に比べると残酷な描写は少ないが、それでも精神が病んでいくような不思議な感覚は相変わらずだ。本作のメインでもある携帯電話の電波の話は誇張されているとはわかっていても、何か不安を感じてしまう。目の前で携帯電話で話をしている人の電波が自分の体を通過していると考えると、不安にならざるおえない。

■ストーリー

「移送屋」の仕事を始めて三年になるミミは、ある時十四歳の少年の移送を引き受ける。しかし、少年は精神病院への移送中「渋谷の底が抜ける」という謎の言葉を残して逃げてしまった。手がかりを求めて渋谷の駅前を歩くミミは「救世主救済委員会」の存在を知り、アクセスを試みるが…。

■感想
バカと天才は紙一重ではないが、この世の中多数派が中心となっている。何をするのも多くの人がすることが正しく、常識となってしまう。昔で言えば地動説に対する天動説。この世は必ずしも多数派が正しいとは限らないが、一般人は何も考えず多数派を支持してしまう。そして何十年、何百年か後にその過ちに気づく。もしかしたら本作に描かれているような精神に異常をきたした人々が見た場面は真実なのかもしれない。

作中に登場する、一般人とはどこか違った感覚を持つ人々。引きこもりを病院へ連れて行く移送屋というのも面白い。移送屋と聞くと力で強引にねじ伏せて連行するイメージがあるのだが、実際にはほとんどそんな描写はでてこない。移送屋というのはあるきっかけにしかすぎず、ある少年との出逢いと「救世主救済委員会」との関わりがメインとなっている。

何が正常で何が異常なのかわからない世の中で、これだけは確実だといえるものは自分しかないだろう。
自分をどこまで信じることができるか。その究極の形が作中に登場した14歳の少年であり、救世主救済委員会の教祖なのだろう。確固たる自分を持つことができず周りに流されて生きることができる者が社会的適応者となっており、それができないものが社会不適応者となる。

前ニ作とも読み終わると何だか不思議で病んだ気持ちになったのだが、本作だけは何が真実かわからない。そして異常なものに対しての色眼鏡をはずすような気持ちにさせてくれる作品だと思った。



おしらせ

感想は下記メールアドレスへ
(*を@に変換)
pakusaou*yahoo.co.jp