巷説百物語 


2006.3.13 ブラックな日本昔話 【巷説百物語】

                     

評価:3

■ヒトコト感想
京極堂シリーズとはまた違った趣がある。京極堂シリーズは長く重厚な物語が主流なのだが、本作はとても簡潔に分かりやすく妖怪をモチーフにした出来事が描かれている。読み進めると摩訶不思議な事件が起こり、それは妖怪の仕業であるような流れになっている。読者もそれ以外考えられないように導かれるのだが、結局はすべて人間の仕業である。これぞまさしく京極堂シリーズの「この夜に不思議なことは何もない」というのを地でいっている。ミステリーと違い、その事件を起こした人物の真の動機というのは明確にされていないが、そんなのは関係ない。妖怪から人間へ、そのシフトの仕方が実にスムーズだ。

■ストーリー

寺への帰路で豪雨に見まわれ、やむなく途中のあばら屋に逃げ込んだ1人の僧。小屋には白装束の御行、人形遣いの女、そして初老の商人と若い男が居合せていた。雨宿りの余興に始まる「百物語」。一見無関係な怪談話は、意外な符号を伴って僧の心の内で形を成す。小屋の外では「しょり、しょり」と何者かが小豆を磨く音が。やがて僧は、恐るべき怪異と出会う…。

■感想
小豆洗い、白蔵主(はくぞうす)、舞首、芝右衛門狸、塩の長司、柳女、帷子辻(かたびらがつじ)の7妖怪。一般人には到底なじみあるものではない。その妖怪が事件の発端だと思わせときながら最後には種明かしをする。その種明かしは多少強引なところはあるが、なぜか納得させられてしまう。ここで逆にすべてが妖怪の仕業だとなると興ざめしてしまう。

読み慣れてくると、妖怪と人間をどのように関連付けるかということにも興味がわいてくる。「芝右衛門狸」などはとうとう最後まで妖怪で終わらせるつもりかと思うほどネタ晴らしされるまで想像することができなかった。「舞首」などは直接妖怪がでてくるわけではないが、最後にはキッチリと妖怪との関連付けがされている。

登場人物達も、京極シリーズほどではないが個性豊かだ。しかしそのキャラクター自身を深く掘り下げることがないので、それほど感情移入することはできなかった。又市が京極堂の役割を果たしているのだろう。軽快な謎解きというのはないのだが、人情味あふれる大岡裁きのような印象を受けた。

ちょっと言葉が難しく、慣れていないとスムーズに読めないかもしれない。しかし、一話がそれほど長くないので軽い気持ちで読めるのもいいだろう。さながらブラックな日本昔話というような作品だ。



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