アダム-神の使い 悪魔の子-


2006.7.10 神をも恐れぬ行為 【アダム-神の使い 悪魔の子-】

                     

評価:3

■ヒトコト感想
人間のクローンを作ることは神をも恐れぬ行動。確かにまったく同じ人間を複製できればものすごく需要はあるだろう。自分の息子を事故でなくしたような夫婦にはまさに渡りに舟だろう。しかしそこですんなり全てがうまくいくとは限らない。複製を製作する過程でのちょっとしたできごとや偶然を装った意図的な秘密を盛り込んだりとミステリアスな雰囲気になるように仕上げられている。パッと見た感じでは同じくロバート・デ・ニーロ出演のハイド・アンド・シークになんとなく近いような印象を受けたが、その根本は大きく異なっている。両作品とも子供がキーになっているということで同じように感じてしまったのだろう。恐ろしく感じたのは近い将来、現実に起こりうると思えたからだ。

■ストーリー

ジェシー・ダンカン(ローミン=ステイモス)とポール・ダンカン(グレッグ・キニア)夫婦は、天才医師(ロバート・デ・ニーロ)に進められ8歳のときに交通事故で死んだ息子のアダム(キャメロン・ブライト)のクローニングに同意する。しかし、アダムのクローンが常軌を逸した振舞いを示しはじめると、夫が疑いを持ち始める。息子はもしかしたら過去の記憶が残っているのではないか。奇行がエスカレートしていくアダムの姿を見て夫婦はクローニングを行なわなければよかったと後悔する。

■感想
クローンを作ることに対しての倫理的な問題はこのさいおいといて、失ったものをそのまま復元できるのならば、それがかけがえのない物であればある程問題があるとしてもそれが見えなくなってしまう。盲目的に目標に向かってしまうのだろう。自分の息子のクローンを複製し、息子がクローンだということを忘れさえすれば何も問題はない。しかし一旦息子がちょっとでも奇行を見せれば、それはクローンのためではないかという、普通の子供ならば疑いが生まれるはずのない部分で余計なかんぐりが増えてしまう。

疑心暗鬼的なことだと思う妻とはっきりとクローンだからだと疑う夫。中盤まではどちらが正しいのかという思いで見たのだが、後半はあきらかに息子の行動がおかしくなり、クローン手術の影響だということがわかるようになっている。

極めつけはクローン手術を行った医師であるロバート・デ・ニーロがまさに心に何か悪事を含んでいるような怪しい風貌をしている。子供に対しては大げさなほどの笑顔を振りまいてはいるが、心の奥底にどす黒い考えをもっているようなそんな顔をしていた。これこそまさしくハイド・アンド・シークのチャーリーではないか。ロバート・デ・ニーロは
表に出ない恐ろしさを含んだ顔をしている。

神の意思にそむく行為。そしてクローンを作った代償。本作の謎の部分が解明されるとなんとなくだが東野圭吾原作の変身というのを思い出してしまった。あれも形は違えど、脳を複製するという状況の中で一種の交じり合いのようなものから悲劇が生まれている。DNA操作で記憶までもが引き継げるとは思わないが、もしかしたら強烈な印象を持ったまま死んだ人間のDNAを移植されると何かしらの影響があるのかもしれない。

近い将来同じような問題がどこかで、こっそりと起こっているのかもしれない。



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