ここにいるよ (単行本文芸フィクション) [ 真山仁 ]
評価:2.5
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■ヒトコト感想
能登半島地震とその被災者を描いた物語。他の地震と比べると、被災者の救済や、その後の話題のなり方が少ないと言われた能登地震。主人公の小野寺は阪神大震災で家族を失い、東日本大震災では教師として被災者を支援してきた経験があった。震災は地震だけでなく、その後にも様々な問題が発生している。避難生活の混乱、行政の事なかれ主義の対応。
ボランティアと現場のズレ。それら様々な状況を物語として描いている。最も強烈だったのは、支援の物資が全員にいきわたるだけの数がないとわかると、その支援物資の全体を断るという部分だ。言いたいことはわかるのだが…。全員にいきわたらなくても、皆で分けて全員にいきわたらせるという考えはないのだろうか。
■ストーリー
2024年1月1日16時10分――。巨大地震が能登半島を襲った。その時、元教師・小野寺徹平は、かつての教え子が女将をつとめる旅館に滞在していた。おとそ気分は吹き飛び、恐怖と不安の中で迎えた「最初の夜」、小野寺はこれから始まる被災地の日々を思い、心が沈んだ。阪神・淡路大震災で家族を失い、東日本大震災で応援教師として被災地の子どもたちを励ましてきた小野寺には、能登半島で被災した人々の長い苦悩の道が痛いほど分かったからだ。
つらく苦しい非日常との闘いが始まる一方で、社会からの関心は徐々に希薄になり、過去の震災の被災地と比べられ、「復興が遅い」「無気力」と責める声すら上がる。小野寺は再び被災地で、子どもたちと向き合う決意をする。
■感想
一部では報道されていたことだが、能登の震災の復興は遅いと言われていた。東北より遅い、復興が遅い。それら比較による苦しみがある。実体としては、インフラが整っていないために、救援物資が遅れたり、支援が行き届かないというのがあるらしい。
ただ、だから能登の地震の被災者たちは不幸だということに直結するのはおかしいように感じられた。外部の声は、良かれと思っての声なのかもしれないが、実際には被災者たちは大きく傷ついていたということなのだろう。
被災した子供たちをどのように受け入れるのか。小学校の問題も切実なのかもしれない。知らない人たちばかりがいる学校に散り散りとなるのか、それともクラスメイトたち全員と同じ学校で授業が受けられるのか。行政的な縛りなどはしょうがないかもしれない。
被災をチャンスととらえて、自分たちを売り込もうとする者たちもいる。クラウドファンディングで金を集めたが良いが、何をやっているのかわからない状態となり、ついには詐欺罪として逮捕される者もでてきてしまう。
作者なりに能登の震災について思うことがあるのだろう。他の大震災からすると忘れられるのが早いようなイメージがある。地元の温泉街の人々との関係をどのように築いていくのか。観光客を能登に集めるにはどうしたらよいのか。
石川県といえば金沢がメインであり、大きな知名度をもっている。能登に注目を集めることが復興への近道なのだろう。能登の震災をテーマとした作品というのはめずらしいかもしれない。忘れ去られないためには必要なことなのだろう。
能登の人々の苦悩が伝わってくる作品だ。