太陽の坐る場所


 2024.8.26    学生時代のヒエラルキーが大人になって変わる【太陽の坐る場所】


                     
太陽の坐る場所
評価:2.5

■ヒトコト感想
辻村深月原作の実写映画。原作は未読。学生時代の地位が社会人となりそれぞれの生活を経て変わっていく様が描かれている。学校中の人気者で女王として君臨してきた響子。同じ名前をもつ今日子を鈴木だからリンちゃんと呼び今日子と呼ばせないようにする。学生時代のヒエラルキーは女性は特に顕著なのだが、かなり大きな影響があるのだろう。

高校卒業から10年経ち、大人となったそれぞれはクラス会にて再会するのだが…。女王の響子は地元のアナウンサーとなっているが、今日子は人気女優となっていた。クラス内部でのいじめや男子生徒からの目線。大人となっての立場の違いと学生時代のヒエラルキーの違いはどのような影響があるのか。学生時代の人間関係は難しい。

■ストーリー
学校中の人気を集め、クラスの女王として君臨していた響子。自分の立場も、好きな人も、友達すらも、欲しいものは何でも手に入ると信じていた完璧な高校時代。彼女の傍には、いつも、同じ名前を持つ同級生の今日子がいた。光り輝く太陽と、その光に付き従う影のように。高校卒業から10年。過去の輝きを失い、地元で地方局のアナウンサーとして満たされない毎日を過ごす響子と、彼女とは対照的に、東京に出て、誰もが憧れる人気女優として活躍している今日子。

そんな2人の元に、クラス会の知らせが届く。これまでにも、度々開かれてきたクラス会で話題にあがるのは、女王、・響子ではなく、女優となった今日子のこと。かつての光と影が入れ替わり、卒業以来、言葉を交わすことすらなかった2人がそこで再会を果たす…2人が向き合い、初めて語られる10年前の真実とは?

■感想
人気者の響子。グループの中心であり、クラスでも響子は中心人物だった。響子は別グループの女子に話しかけ仲間に引き入れたりもする。その女子と話をしていた女の子は、たちまち独りぼっちになってしまう。これがいじめの始まりなのだろう。

いじめられる女子の心境を考えると心が痛くなる。親友が響子のグループに入り、自分はどこか疎外感を感じる。学生時代の人間関係の難しさは、実は社会人の人間関係よりも逃げ出せないだけにはるかに難しいのだろう。

10年後のクラス会に響子が参加する。地方局のアナウンサーといえども、女王の響子はさすがに地元では有名人となる。ただ、東京で開かれたクラス会では…。田舎のアナウンサーと、東京ではファッションデザイナーとしてバリバリ働く元同級生と比べるとどうなのだろうか。

地方よりも東京の方がキラキラと輝いて見えるのかもしれない。どちらもすごいでよいような気がするが、女王の響子が負ける姿を見たいという思いがあるのかもしれない。極めつけは響子が排除しようとした今日子は女優として成功していた。

響子と今日子のふたりの立場の違い。今日子は学生時代の思いを多少引きづっているような雰囲気がある。女優として成功し、地方アナウンサーの響子は今日子の引き立て役となる。そのほかの学生時代の陰湿ないじめや男子との関係。

男関係でのゴタゴタもあり、成長した同級生の男との関係も描かれている。映画として終始淡々と描かれているので、あまりダイナミックな動きがない。物語全体として暗い雰囲気があるのは間違いない。

かなり見る人を選ぶ作品だ。



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