2018.7.29 愚直な男たちの物語 【柘榴坂の仇討】
柘榴坂の仇討 [ 中井貴一 ]
評価:3
■ヒトコト感想
桜田門外の変で主君を守ることができなかった彦根藩士・志村を描いた感動作。主君を守れなかったからと切腹もさせてもらえず、ひたすら主君の仇を追い求めて13年。時代遅れの武士の風貌がより哀愁をただよわせている。本作に登場してくる人物はみな気持ちのよい人物だ。志村はもちろん、その妻や仇である直吉にしてもひとつの信念がある。
志村は長年の仇を見つけ出し、いざ対決するのだが…。男たちの熱い思いを感じずにはいられない。ひたすら耐え忍ぶ武士としての志村はすこぶるかっこよい。日陰の生活をつづけた直吉もよい。ラストではみなが何となくだが幸せな方向へとすすんでいるように思えるのがよい。志村役の中井貴一の寡黙な武士の演技がなによりすばらしい。
■ストーリー
安政七年(1860年)。彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は、時の大老・井伊直弼(中村吉右衛門)に仕えていたが、雪の降る桜田門外で水戸浪士たちに襲われ、眼の前で主君を失ってしまう。両親は自害し、妻セツ(広末涼子)は酌婦に身をやつすも、金吾は切腹も許されず、仇を追い続ける。時は移り、彦根藩も既に無い13年後の明治六年(1873年)、ついに金吾は最後の仇・佐橋十兵衛(阿部 寛)を探し出す。
しかし皮肉にもその日、新政府は「仇討禁止令」を布告していた。「直吉」と名を変えた十兵衛が引く人力車は、金吾を乗せ柘榴坂に向かう。そして運命の二人は13年の時を超え、ついに刀を交えるが…。
■感想
安政七年。井伊直弼が桜田門外で討ちとられる。目の前で主君を失った志村は、両親は自害したが自分が切腹をすることは許されなかった。主君を殺された仇を討つため、時代が明治になろうとも侍の恰好をくずさず、ひたすら仇を探し続ける。
まずこの志村の境遇は同情すべきものがある。井伊直弼を襲った刺客を追いかけていると、そのすきに主君が殺されてしまう。自責の念をぬぐいされず、ただひたすら仇を探し続ける。ただ、敵討ちしたところで次にまっているのは切腹だ。自分の本懐を達成するため、そして死ぬための行動でしかない。
志村が探し求めている仇である直吉もまた、明治の時代にひっそりと息をひそめて生活している。志村も直吉も共通しているのは、寡黙でなにか心の中で期するものがある顔つきをしている。志村は妻であるセツの稼ぎで生活している。
直吉は人力車を引いて生活費を稼ぎ、つつましい生活をしている。どちらも信念をもち活動してきた。その結果として志村は直吉を殺そうとする。結末間近の志村と直吉が出会う場面は、とてつもない緊張感にあふれている。
直吉が引く人力車に乗る志村。その先には、対決が待っているのだろう。丸腰の直吉に自分の刀を渡し、志村は脇差で対決しようとする。志村の男気もすばらしい。そして、自分の手で殺してやるという強い決意のようなものを感じずにはいられない。
直吉自身は、無抵抗で志村に殺されようとしたのだが…。結局のところ、ふたりの対決は意外な結末を迎えることになる。志村も直吉も新しい時代になじめない男であることは間違いない。しかしそれがかっこよい。
時代の変化についてはいけないが、信念をもった男はかっこよい。
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