僕はイエス様が嫌い


 2021.2.6      キリスト教の習慣に戸惑う少年【僕はイエス様が嫌い】

                     
僕はイエス様が嫌い [ 佐藤結良 ]
評価:3

■ヒトコト感想
東京から地方のキリスト教系の学校へ転校した少年ユラ。ごく普通の田舎で生活する小学生の日常が描かれているのだが…。東京と田舎の違いはあるのだが、それよりも転校先がキリスト教系の学校というのがユラにとってはインパクトがあったのだろう。ことあるごとにお祈りがはいる。日々の礼拝に戸惑うユラ。

友達ができたのだが、その友達の家では食事の前にお祈りがある。新しい習慣にとまどう少年ということ以外はないのだが、周りの人々が常に楽しそうなのが印象的だ。ユラからすると常に笑っている友達のお母さんは幸せそうに見えている。となると、キリスト教には良いイメージがつくのだが、ユラはそれでもお祈りには入り込めない。後半の展開で、それまでの状況が様変わりするのがポイントだ。

■ストーリー
祖母と一緒に暮らすために、東京から雪深い地方のキリスト教系の小学校へ転校することになった少年ユラ。日々の礼拝に戸惑うユラの前に現れたのは、小さな小さなイエス様だった。他の人には見えないけれど、願い事を必ず叶えてくれるイエス様を信じ始めたころ、ユラに大きな試練が降りかかる…。

■感想
少年ユラが初めて出会うキリスト教系の学校に戸惑う物語だ。いきなり転校した先で常にお祈りをする習慣に驚くのは無理もないだろう。東京での生活に慣れていたユラにとっては、戸惑うことが多い。ユラはそんな中でも友達ができて、友達の家に遊びに行ったりもする。

キリスト教を信仰している家では、当然ながら食事の前にお祈りが入る。そのことに対してユラは戸惑いながらも郷に入っては郷に従う精神で、お祈りをする。友達のお母さんは常に笑っている楽しそうな人だった。

ユラは学校の習慣に慣れながらも、いまいちキリスト教にはなじめていない。小さなイエス様が目の前に現れたとしても、戸惑いは消えない。そんな時に、親友が交通事故にあう。学校では友達が回復することを願いお祈りをしたりもする。

ユラはなぜかお祈りができない。メッキが剥げるように、今までお祈りしていた明るい友達のお母さんが取り乱して声を荒げている。ユラからすると、幸せな家族像が崩れる感じなのだろう。強烈なインパクトがあるのは、それまでの友達家族の状況が様変わりする場面だ。

結局、ユラの親友は回復することなく死んでしまう。イエス様に祈ったとしてもダメ。ユラの目の前に現れたイエス様に対するユラの怒りが表現されている場面もある。周りは祈りをささげることを重視し、お別れ会の場で、ユラに弔辞を読ませようとしたりもする。

最後までユラはキリスト教を受け入れることはできない。目の前には、明るく楽しく毎日お祈りをしていた親友の母親が、陰鬱な表情をしてたたずんでいる。いくらキリスト教を信仰したとしても、必ず幸せになるわけではないことを物語っている。

極端にセリフが少ないが、表情で心境が伝わってくる。



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