そして父になる


 2015.3.9      育ての親より産みの親? 【そして父になる】

                     


■ヒトコト感想

人生の勝ち組となった良多。突然、6歳の息子が自分とは血のつながりのない別人の子供だと知ったら、どうなるのか。病院での子供の取り違えなんてのは、普通は想像できない。ただ、その事実が分かったとして、血縁上の子供と交換するか?というのが本作のテーマだ。

作中では、交換するという方向になっている。今までの生活は何だったのか。6年間育ててきた子供に愛情はないのか。相手の家庭が貧乏であればなおさら考えることは複雑だ。良多は両方引き取りたいと思うのだが、それは無理な話だ。自分に置き換えて考えると、答えはでている。自分ならば絶対に交換はしない。そもそも、交換しようという話になること自体を疑問に思ってしまう。

■ストーリー

学歴、仕事、家庭。自分の能力で全てを手にいれ、自分は人生の勝ち組だと信じて疑っていなかった良多。ある日病院からの連絡で、6年間育てた息子は病院内で取り違えられた他人の夫婦の子供だったことが判明する。血か、愛した時間か―突き付けられる究極の選択を迫られる二つの家族。

■感想
自分とは血のつながりがまったくない子供を今まで育てていた。そこには愛情は間違いなくある。他人の子供だと分かった瞬間に、愛情が覚めるなんてことはない。それでも、血のつながりを重視するのが本作だ。エリート会社員の良多の家庭は裕福で、その子供は厳しくしつけられてはいるが、何不自由ない生活をしている。

対して、良多の本当の子供が育った家庭は、自営業の電気屋で3人兄弟であり貧乏だ。どちらの家庭が幸せだと一概には言えない。ただ、貧乏家族の方にどちらの子供も惹かれているのは、良多にとって辛い現実かもしれない。

子供にとって何が一番良いのかは本作ではまったく無視されている。親たちが、それぞれの子供たちを慣らすために、家族ぐるみで付き合い始め、お互いの家を行き来する。6年も生活すれば、それぞれの家庭に染まり、当然自我もはっきりと目覚めているだろう。

突然、知らないおじさんとおばさんが、本当の両親だと言ったとしても、子供からしたら混乱するだけだ。そのあたり、子供の心境をまったく無視した作りなのは、あえてそうしているのだろう。医者が「このケースではほぼみんな子供たちを交換している」的な言葉を言ったのが、一番信じられない。

良多からすれば、なんでもすべて自分の思い通りに物事を進めてきたのだろう。自分の家にいる方が子供も幸せだと勝手に考えてしまう。仕事人間の父親の家庭よりも、貧乏でも父親が身近にいる家庭の方が子供たちはよろこぶようだ。

血を大事にする良多。子供のために良かれと思って行うことはすべて裏目にでる。本作を見て普通の人はどう思うのだろうか。子供がいる人は、産みの親より育ての親という考えが多いような気がする。血のつながりをそこまで重視する意味があるのだろうか。

もしかしたら、男女で意見は分かれるのかもしれない。



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