マジェスティック


 2015.3.11      自由の国アメリカらしい 【マジェスティック】

                     


■ヒトコト感想

脚本家のピーターが共産主義の疑いをかけられ、何もかもが嫌になり逃げだした先で事故に合う。そして記憶をなくしたピーターが流れ着いた町では、行方不明のルークと勘違いされる。記憶をなくしたピーターは、ルークとして町で生活する。そこで、ルークが町の人々に慕われている理由や、戦争にかり出された町の若者たちの実情が描かれている。

自由の国アメリカらしい作品だ。ルークが命をかけて守った国は、どのような国なのか。共産主義者を無差別に排除するような国だったのか。ピーターの法廷での演説は感動的だ。過去のアメリカでは、人権侵害的なことが平気で行われていたことに驚かずにはいられない。ルークからピーターへと記憶が戻る過程もまた秀逸だ。

■ストーリー

ある町の海岸にひとりの男が打ち上げられる。その姿を見て、驚き、狂喜する人々。「戦死したと思っていたルークが帰還した! 」彼の年老いた父や恋人アデルは喜びに涙する。しかし、男には自分が誰なのか分からなかった。

記憶のないまま、ルークとして生きる道を歩み始めた男は、父ハリーが経営する古い映画館マジェスティックの再建に乗り出す。このことで町全体も戦前の輝きを取り戻していくが、彼の正体を知る男が現れて事態は急変する…。

■感想
脚本家としてのキャリアを断たれたピーターが、自暴自棄となり事故を起こし記憶をなくす。記憶をなくしたピーターが流れ着いた町では、ピーターのことを町の英雄ルークと勘違いする。ここでポイントとなるのは、ピーター自身が記憶をなくしているため、自分のことをルークと思い込む部分だ。

恋人のアデルや父親のハリーまでもがピーターのことをルークと思ってしまう。観衆としては、どこかでピーターの正体がばれるのではないか?と気が気ではない。ルークの街での英雄扱いが強烈であればあるほどそう感じてしまう。

ピーターがルークになりきる部分はすばらしい。多少の偶然はあるにせよ、まったくの他人として生活するには普通は違和感があるはずだ。脚本家のピーターが、映画館を営業するハリーの息子のルークと間違えられるのがポイントだ。

休業状態だった映画館マジェスティックを復活させることに尽力するピーター。マジェスティックが復活することで、ピーターの記憶が戻ってしまう。このあたり、もし、マジェスティックが復活しなくとも、遅かれ早かれピーターは記憶を取り戻し、ルークではないと町の人々に打ち明けていたのだろう。

記憶を戻した直後に、共産党支持者として捕らえられるピーター。自由の国アメリカでも、過去にはこのような赤狩りがあったことに驚いた。そして、ピーターがルークとして経験したことを元に、アメリカの自由を訴える場面は感動的だ。

日本人である自分が感動するくらいなのだから、アメリカ人が見れば相当なものなのだろう。自国の自由さを本作のような形で、強い者にも屈することなく強く主張するのは、いかにもアメリカ人に好まれそうなヒロイズムに満ちている。

アメリカの赤狩りというのもイメージがないだけに驚きだ。



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