グラン・トリノ


 2015.5.26      字幕と吹き替えで印象が変わる 【グラン・トリノ】

                     


■ヒトコト感想

映画館で見たのは字幕版だった。今回は吹き替え版を見たので、また少しだけ印象が違う。偏屈なおやじが隣人のアジア人を最初は嫌いながら、最後には家族よりも親しくなり、アジア人の少年タオのために命を投げだそうとする。老人ウォルトの偏屈具合が吹き替えだと字幕よりも強烈に印象に残っている。

苦み走った表情に「グググ」という言葉が付け加えられるだけで、かなりの頑固ジジイというイメージがついてくる。さらには、親しい友人に対して投げかける罵詈雑言も、字幕よりもその声のトーンから、冗談の中にもかなりの偏屈さがうかがえる。偏屈な老人が最初は反目し合っていた相手に対して、だんだんと雪が解けるように相手と親密になる過程は見ていて心が温かくなる。

■ストーリー

妻に先立たれ、孤独な生活を送っている老人・ウォルトは誰にも心を開こうとしない。そんなある日、隣家の少年・タオがウォルトのヴィンテージ・カーを盗もうとするが失敗し…。

■感想
人種差別だとかなんだとかは、内容をみればわかるだろう。人種を全面に押し出した作品だという印象はかわらない。ウォルトがタオの家族たちの歓迎の仕方になじまず戸惑う場面や、ウォルトが住む地区が、だんだんと荒れていき、危険な地区になっていくことなど、アメリカの地方の荒れた地域をそのまま描いているようだ。

ウォルトの周辺と比べると、ウォルトの息子家族たちはいかにもエリート風で裕福な暮らしをしている。この対比と共に、息子たちとうまくコミュニケーションがとれないウォルトの苦悩が描かれている。

ウォルトとタオの師弟関係が良い味をだしている。前回見た時には、孤独な老人が心を溶かしていく印象が強かった。本作でもその部分の印象に変わりはないが、より周囲との関係の強さを感じた。実の家族たちとの冷え切った関係に比べると、周囲と長年築き上げられた関係というのはそう簡単に壊れるものではない。

連れ合いを亡くした孤独な老人が、子供たちの元へ行くのではなく、慣れ親しんだ場所で暮らす理由は本作を見れば、よりはっきりと理解できるだろう。ウォルト自身もそのことを心底理解しているように感じた。

ラストの場面は相変わらず哀愁漂う展開だ。単純に復讐するために自ら銃を持ち、ぶっぱなすのではなく、相手を誘い、自分を射殺させようとする。老い先短い老人であり、死期が近いことを悟ったウォルトだからこそできたことだろう。

ウォルトから譲り受けたグラン・トリノを運転するタオの引き締まった表情は強く印象に残っている。最初に映画を見た時には、この俳優たちが、その後なんらかブレイク的なことになるかと思いきや、その後いっさい他の作品で見ないので、本作だけなのだろう。

字幕晩と吹き替え版で、多少印象が変わったのは驚きだ。



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