号泣する準備はできていた  


 2012.6.4   女たちの複雑な心境 【号泣する準備はできていた】

                      評価:3
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■ヒトコト感想

若くはない30代の女性が主人公の短編集。妙齢の女性が過去をふり返るだとか、恋愛におぼれるだとか、妻として家族をささえるだとか、そんな短編だ。何か共通したテーマがあるというわけではない。しいてあげるなら、作中で登場人物たちが口にする食べ物が、やけにおいしそうに感じてしまうところか。なにげなく口にするウォッカや、レストランで食べるサンドイッチなど、特別な描写ではないはずなのに、突然登場する食事シーンに引き付けられる。かならずしも、明るく楽しい物語ばかりではない。かといって、暗く悲しい物語でもない。当たり前の日常のようでありながら、女性の鬱憤と言うのだろうか、真の心の中を表現しているように思えた。男目線で読んでも、複雑な心境が伝わってきた。

■ストーリー

満ち足りていたはずの恋に少しずつ影が差す様を描いた表題作「号泣する準備はできていた」、妻のある男性との濃密な関係がずれはじめる一夜をつづった「そこなう」など、当たり前にそばにあるものが静かに崩壊していく過程を、江國は見慣れた風景の中に表現してみせる。また、若かりしころの自分と知人の娘の姿を重ねた「前進、もしくは前進のように思われるもの」や、17歳のときの不器用なデートの思い出を振り返る「じゃこじゃこのビスケット」では、遠い記憶をたどることによって、年を重ねることの切なさを漂わせる。

■感想
いくつか印象に残る短編がある。「じゃこじゃこのビスケット」は、そのなんだかよくわからないフレーズといい、印象的な過去を思い出すシーンといい、正直よくわからないのだが、妙に引き付けられる。歳をとることへの悲しみのようでもあるが、大人としての余裕をただよわせたりもする。ふと、感じたのは、自分ももしかしたら同じような気持ちになったことがあるのでは?ということだ。本作の物語とシチュエーションは違えど、過去の自分をふり返ると、似たパターンがあるなぁと思い、強烈に印象に残っている。

「溝」は、一見幸せな家族であり、仲むつまじい夫婦でありながら、かすかな溝を感じる物語だ。ごくありふれた、実家への帰省風景のような気がするが、主人公の心情描写が溝をより印象づけている。確かに、楽しい家族の輪の中にいたとしても、ふとした瞬間、自分だけが疎外されているような感覚はある。妻との関係であっても、心をどんなに通じ合わせていようとも、相手の真の気持ちはわからない。なんだか切なくなるような話だが、これが現実なのかもしれない。

「どこでもない場所」は、いい大人たちが、自由気ままに振舞うことへの憧れというか、羨ましさが募った。気ままにバーで酒を飲み、シャンパン片手に外へでて、牛丼屋で酒盛りをする。何がどうというのではなく、単純にこの雰囲気が好きだ。羽目をはずすというか、何か自分たちが普段できないこと(それでも、やろうと思えばできること)を物語で、さも当たり前のようにやってしまうというのは、心がウキウキしてくる。たとえ物語のトーンが、楽しさとはほど遠いものであったとしても、バーで勢いづいて、そのまま牛丼屋で酒を飲むという行為自体が楽しくさせる。

同年代の女性であれば、主人公たちに感情移入できるのだろう。自分は違った目線で読んでしまった。




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