2010.4.16 黒髪の乙女の可愛らしさ 【夜は短し歩けよ乙女】
■ヒトコト感想
丁寧で独特な語り口。純真無垢な「黒髪の乙女」が京都の町を歩く。乙女に恋する先輩は奥手で思いを告げることができない。このなんとも言えないヤキモキとした雰囲気と、乙女のかわいらしさばかりが目だっている。特に乙女の可愛さを際立たせているのは、”なむなむ”や”ぱくぱく”といった擬音だ。物語が進むにつれて、乙女と先輩の関係が親密になっていく。天然記念物ものの純朴さの乙女と、ドジでおっちょこちょいな先輩の恋の行方に、読者は釘付けとなる。恋愛小説というほど、わざとらしくなく、作中に散りばめられたユーモアの数々が、物語をすばらしいものへと作り変えている。頭の中で想い浮かべた乙女の姿は、宮崎あおいだった。もうそのイメージが離れない。
■ストーリー
「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「先輩」は、夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めた。けれど先輩の想いに気づかない彼女は、頻発する“偶然の出逢い”にも「奇遇ですねえ!」と言うばかり。そんな2人を待ち受けるのは、個性溢れる曲者たちと珍事件の数々だった。
■感想
「黒髪の乙女」の可愛らしさは、丁寧な言葉遣いもそうだが、今時ありえないほど純真で、世の中にはびこる悪意をまったく寄せ付けない、天使のような女の子に思えてしまった。ありがちな恋愛小説のように恋敵が登場したり、困難な障害が待ち受けているわけではない。乙女に恋する先輩は、ありえないほど遠回りをしながら、黒髪の乙女の外堀を埋めていく。このじれったい感覚は、乙女の可愛さもあいまって、思わずニヤニヤしてしまう。先輩の乙女に対する恋のベクトルが、見当違いの方向を向いていたとしても、二人はきっとどこかで交差するのだろうと思えてしまう。
乙女の周りに登場する人々。これもかなり強烈なパンツ総番長から始まり、とんでもない大金持ちの李白や、よくわからない力を持つ男など。これではただ純粋に乙女を思うことしかできない先輩の存在感が薄れてしまうと思えるのだが、周りが先輩をよりクローズアップしている。特徴的な人々が先輩と関わるごとに、先輩は乙女と少しずつ近づいていく。キラキラと輝く真水のような乙女が、どんなに濁って汚れたキャラクターと絡んだとしても、乙女の純粋さが際立つだけだ。なんだかよくわからないうちに、演劇の主役になっているあたりも、少しボーっとしたドジっ子キャラで良いかもしれない。
乙女と先輩の関係は、ゆっくりと少しずつ進んでいく。恋する乙女というのもあまり想像できないが、相手が先輩ならば許してやろうという気持ちになるのは、すでに黒髪の乙女を娘に持った親の気持ちになっているのかもしれない。何もしらない純情な娘を思う親というのは、ちょうど本作を読むのと同じなのだろう。純真無垢でありながら、酒豪。引っ込み思案風だが、突然演劇の主役を演じたりもする。このギャップが黒髪の乙女のすばらしいところだ。乙女は誰にも悪意をふりまかない。たとえ乙女に悪意が降りかかったとしても、乙女は無意識にサラリと避け、何事もないように鈍感に過ごすのかもしれない。
黒髪の乙女の可愛らしさばかりが目立つ作品だ。
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