終末のフール 伊坂幸太郎


2009.9.23  終末を待つ人々の生活 【終末のフール】

                     
■ヒトコト感想
八年後にこの世が終わるとなったら、人はどうするのだろうか。その答えが本作に描かれているとは思わないが、変に納得できる何かがある。作者のキャラクターはマイペースで周りに流されることはない。そのキャラクターがそのまま終末が近づくにつれて、自分たちの思うがままに行動する。パニックになる時期を過ぎ、終末が近づくと悩むことはある。死が近づいたからこその悩みもあれば、そうでない悩みもある。物語のトーンが変われば、宗教的な香りがしてくる危険性もある。そこは、作者独特のキャラクターたちが、軽いタッチで終末へむかう日々を過ごしている。共感はできないが、全てに絶望し、悟りを開いたような状態になれば、こうなるのかもしれない。

■ストーリー

八年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。そう予告されてから五年が過ぎた頃。当初は絶望からパニックに陥った世界も、いまや平穏な小康状態にある。仙台北部の団地「ヒルズタウン」の住民たちも同様だった。彼らは余命三年という時間の中で人生を見つめ直す。家族の再生、新しい生命への希望、過去の恩讐。はたして終末を前にした人間にとっての幸福とは?今日を生きることの意味を知る物語。

■感想
もし終末が近づいたとしたら、本作のように一日一日を大事に過ごすことができるだろうか。一番考えられるのは、作中に登場した突然泣き叫ぶ親父のようになってしまうかもしれない。未来もなく、希望がない世界では、人はどうなるのか。本作がその答えを描いているとは到底思えない。しかし、終末が近づいてもこんなことで悩んでいるんだよというような、ちょっとしたほのぼのとした気分になれるかもしれない。些細なことで喜び、悲しむ。もっと大きな、終末が近づいているということには目をむけず、日々を生きる。ある意味悟りを開いた状態かもしれない。

終末を目前に控えた人々を描く本作。登場人物たちのキャラクターによっては、ひどく暗く陰鬱な物語になりかねない。しかし、そこは作者得意の超マイペースなキャラクターたちが日々を生活する。休みの日に集まってサッカーをする。世界が滅びる直前、洪水に飲まれたとしても、屋上にやぐらをつくりそこから洪水にのまれる街を眺めようとする。不謹慎と感じるかもしれない。しかし、これが逆にすっきりとさわやかな印象を残すのだ。世界が終わるからといって、ばたつくのは見苦しい。そんな時こそ普通に過ごせるのが幸せなのではないかと臭わせる作品だ。

それぞれの短編で、終末へと近づく日々を生きる人々を描いている。妙にしんみりとした作品もあれば、ニヤリと笑えるような作品もある。かと思えば、ちょっとした感動ものであったり、よくわからないものもある。短編に登場するキャラクターは、また別の短編にも登場し、それなりにつながりを感じるようにもなっている。連鎖的に広がる空間が、終末を待ち構える人々の世界を大きく構築している。大きな事件や衝撃的トリックがあるわけではない。終末とは思えないほど、のんびりとしたようにも感じられる。それが本作の一番の売りなのではないだろうか。

作者のキャラクターたちが、この物語にあっているのかもしれない。



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