昭和歌謡大全集 村上龍


2008.8.19  若者とおばさん、どっちもどっちだ 【昭和歌謡大全集】

                     
■ヒトコト感想
映画版を先に見ているだけに、どうしても俳優たちのイメージのまま本作を読んでしまう。淡々と表情も変えずにナイフを突き出す姿や、表情のない、ただ笑っている顔かたちだけで、なつかしの歌を歌う若者たち。なぜ、懐メロなのか、そこにどんな意味があるのか。殺し合いの連鎖の中で、おばさんグループと若者たちの対決が始まる。随分と設定からして突飛なのだが、読んでいくうちにいつの間にか不自然な感覚はなくなってくる。自前で用意したカラオケセットを使い、海岸で歌いまくる。そうかと思えば、トカレフを用意しおばさんグループとの戦いへと突き進む。最後のなんでもありな展開もやはり強烈過ぎる。映画版ともども、ブラックな印象を拭いさることはできなかった。

■ストーリー

孤独なコンピュータおたくの6人グループのひとり、スギオカは、刃渡り20センチの山岳兵用ナイフをジーンズのベルトにさし、白昼の街に。尻を突き出して歩くおばさんの喉にナイフを押し、水平にひいた。ミドリ会という名のおばさんのグループのひとり、ヤナギモトミドリが死んだ。ふたつのグループの殺しの報復合戦を、「恋の季節」「星の流れ」「チャンチキおけさ」等々昭和の名曲をバックに描く。

■感想
若者の無軌道さとおばさんたちの節操の無さを描いているようにも感じる本作。何も目的がなく、だらだらと生活する若者たちの楽しみが、海岸でやる自前のカラオケというのも違和感を感じるが、酒を飲みながらつまみ一つ用意することにおいても、何も考えられないなど、そんな状況があるのだろうか。現実感のない若者たちと、ミドリという名前ばかりのおばさんたちグループ。若者たちに対するおばさんグループというのも、もしかしたらちょっとセレブな現代のおばさんを如実に表しているのだろうか。どちらのグループも決して良い印象をもたないのだが、殺し合いの連鎖の中で生じる妙な仲間意識はなんだか共感できるものがあった。

昭和の歌謡曲を歌うことにどういった意味があるのか。映画版は陰惨な場面を直接的に表現する変わりに、ブラックなユーモアを交えて、グロテスク感を緩和している。対して本作の方は、どちらかというとユーモアは少ないのだが、個々のグループの内部的な事情が事細かに描かれている。だからといって、この登場人物たちに感情移入できることはない。わけのわからない、異常にカラオケ好きな若者と、何を目的に生きているのか、ランチと適当な男を見つけることだけに力を注いでいる、すでにピークを過ぎたおばさんたち。どっちもどっちだと思えて仕方が無かった。

ラストの展開は映画版でもそうだが、まさに想像を絶する終わり方だ。映像的なインパクトは当然映画版なのだが、文章として、ゆっくり、そして確実に語られるラストまでのくだりは強烈なインパクトがある。全てのおばさんを始末するために、想像を絶する決断をする若者たち。そして、それが実行できてしまう、この世界観。広げた、たいして大きくない風呂敷を畳むために、大げさな行動をとってしまう。その後の処理をどうするかなど考えないのが若者のいいところであり、悪いところだろう。

ラストのインパクトとありえなさは、今までのどの作品よりもずば抜けている。



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