戦場のピアニスト


 2009.4.30  人種差別に意味はない 【戦場のピアニスト】  HOME

                     

評価:3

■ヒトコト感想
淡々と淘汰されていくユダヤ人たち。まず最初に圧倒されるのは、ドイツのユダヤに対する弾圧だ。ある程度予想していたが、これほどまでとは思わなかった。何十万人もいたユダヤ系住民があっという間に減少していく。願うのは、はやくドイツ軍が負けるということばかりだ。そんな中で、一人廃墟で生活するジュピルマン。生きるための執念と、それを取り巻く状況。淡々と流れているようで、衝撃的な場面は多い。ピアノを弾きながらも、激しい銃弾が飛び交う。一つのパンを手にすることすら難しい現状。ただ見た目的なものでユダヤ人だからと迫害される。戦争の無意味さと、人種差別がまかり通る世界。こういった作品を見ることで、人種差別撲滅の手助けになることは確かだ。人種差別することに何の合理性や説明もない。ありえないことだという思いばかりが強くなった。

■ストーリー

1939年、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻。ワルシャワのラジオ局でピアノを弾いていたウワディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)とその一家は、ユダヤ人に対するゲットーへの移住命令により、40年、住み慣れた我が家をあとにする。ナチスの虐殺行為がエスカレートする中、ウワディスワフはカフェのピアノ弾きとして日々を過ごすことになるのだが…。

■感想
ドイツに住みながらも、ドイツの敗北を願う。ソ連兵が近づいていることを知ると希望がわいてくる。そんな思いになるのは、ドイツに住みながらも激しいユダヤ人であるゆえの迫害を受けているからだろう。強制労働させられ、無作為に選別しては、その場で銃弾を頭に打ち込まれる。もはや、虐殺以外のなにものでもない。こんなことが通用していいはずがない。つい隣に並んでいた仲間が、次の瞬間には頭を打ち抜かれている。それがさも当たり前のことのように、感覚が麻痺している。シュピルマンの力ない表情が全てを物語っているようだった。隠れ家に隠れながらも、なぜかドイツ人に対してはどこか後ろめたいものを感じさせる表情。この俳優だからこそ表現できた表情なのだろう。

ボロボロの姿で食べるものもろくに無い状態で隠れるシュピルマン。生きるための執念というよりは、運によって生かされているということだろか。天才的なピアニストでありながら、隠れ家生活では、目の前のピアノも弾くことができない。ユダヤ人迫害を扱った作品で、これほど一個人に焦点を当てた作品があっただろうか。ボロボロになりながら、騙されながら、食べ物を手に入れ生き延びる。ドイツが敗北後、ドイツ兵のコートを着て出て行ったために、撃たれるシーンなどは、映画作品とし、そこで死ぬパターンもあるかもという悲しい想像もした。しかし、ひげ面でありながら、ボロボロで生き残るシーンを見ると、なんだか微かに笑いがこみ上げてしまった。

ドイツ兵たちの中には、上からの命令でやむを得ずユダヤ人を迫害してた兵士もいただろう。しかし、作品としてメリハリをつけるためには、ドイツ兵は決定的に悪でなければならない。地も涙もない悪だからこそ、そんな悪の心に隙間をあけたシュピルマンのピアニストとしての力が表現できるのだろう。シュピルマンを助けた大尉がその後どうなったのか。シュピルマンが昔と同じようにラジオでピアノ演奏をしたシーンでは、カタルシスを感じることができる。しかし、シュピルマンを助けた大尉が、どうなったのか…。戦争自体の激しさというのはほとんど感じることはない。しかし、ユダヤ人迫害の強烈さは何よりもインパクトがある部分だ。

主演俳優のあの表情。ただ、たたずんでいるだけで物悲しさが漂ってくる。



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