龍は眠る 宮部みゆき


2009.4.7  単純な超能力モノではない 【龍は眠る】

                     
■ヒトコト感想
ミステリーの中に超能力者が登場すると、それだけで全てが無になってしまう危険性がある。なぜなら、超能力者がいれば、どんな難事件だろうと、たちどころに解決してしまうからだ。本作では、その超能力者を必ずしも事件に協力的ではなく、障害にすらなりえるように配置している。物語が進むにつれて、もしかしたら、超能力者というのはデマではないだろうか。全て仕組まれたものではないのだろうか。と高坂が思う感想と同じ感覚で読んでしまう。相手の考えていることがすべて読み取れてしまう不幸。一瞬うらやましい能力だと思ってしまうが、物語を読んでいくうちに、それはとんでもなく不幸なことだと気付く。ひとつひとつの事件はたいしたことないが、超能力者が絡むとより複雑さが増している。

■ストーリー

嵐の晩だった。雑誌記者の高坂昭吾は、車で東京に向かう道すがら、道端で自転車をパンクさせ、立ち往生していた少年を拾った。何となく不思議なところがあるその少年、稲村慎司は言った。「僕は超常能力者なんだ」。その言葉を証明するかのように、二人が走行中に遭遇した死亡事故の真相を語り始めた。それが全ての始まりだったのだ…

■感想
全てを見通しているような不思議な少年。そして、その少年は告白する。超能力者がまだ人格的に未熟な少年だということが、本作を面白くしている要因でもある。これが成熟した大人であれば、本作の少年のような行動はとらないだろう。超能力で人の役にたちたい。特別な力を持てば、誰もが一度は考えることだろう。そして、本作はその考え自体のあさはかさも指摘している。ただ、単純に超能力で事件を解決するというような物語ではない。超能力が持つ意味と、周りとの関係。特別な力を事件解決に生かせとは誰もいえない。それはその後の少年の人生を考えると、何がベストかわからないからだ。

事件自体は特別ではない。良くあるパターンかもしれない。しかし、それに関わる超能力者たちのせいで、事件はより複雑になっていく。ただの事件に超能力者が関わると、こうも複雑になるとは思わなかった。それと共に、実は超能力など存在せずに、すべては仕組まれたことではないのだろうかとすら思えてくる。ミステリーを読み慣れていると、変に深読みしてしまうために、勝手に頭の中で暴走してしまうと言ってもいいだろう。そのため、予想を裏切られることが頻繁にあり、なかなかページをめくる手を止めることができなかった。

本作がもし超能力者が大活躍する作品であれば、これほど興味をそそられなかっただろう。何でもありな超能力者がいるだけで、いっきに漫画的になってしまう。それはそれで良いのかもしれないが、漫画的展開を求めていないために、本作のような流れの方が良かったと思う。超能力を使うことの意味。その正体を明かすことのリスク。雑誌記者というスクープを探す立場の人間が、最初に関わったというのも大きな意味があるのだろう。現実的ではない作品のはずなのに、やけにリアルに感じたのはそういった理由があるのかもしれない。

超能力者が事件を解決する。この手の作品は漫画などでよく見るが、本作はまったく違っている。



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