2010.2.3 格差社会の純愛か? 【親指の恋人】
■ヒトコト感想
幸せになれぬ二人が将来に悲観し心中するお話。作者は格差社会の純愛を描きたかったのだろうか。それとも別の意図があったのだろうか。純愛というよりも、どこか甘えや安易な逃げに思えてしょうがなかった。育った環境の違いから、愛し合う二人には様々な障害が付きまとう。極めつけはジュリアにこれでもかと襲いかかる不幸の数々。対してスミオは恵まれた環境にありながら、将来に夢も希望もなく無気力な生活を送っている。ジュリアの境遇には同情すべき部分もあり、スミオの感覚もわからなくもない。しかし、二人が最終的に選んだ方法は、すべてに対して逃げているだけのような気がした。抗いようのない現実にあっさりと屈してしまった二人を描いた作品だ。
■ストーリー
「これから送るのは、親しい友達にも話していないことだ。暗くなるけど、いいかな?」「わたしは…今、この瞬間全身でスミオの話をきいてるよ。全部、話して―」六本木ヒルズに暮らす大学生の澄雄と、薄給のパン工場で働くジュリア。携帯の出会い系サイトで知り合ったふたりのメールが空を駆けていく。二十歳のふたりは、純粋な愛を育んだが、そこへ現実という障壁が冷酷に立ち塞がる。無防備すぎる恋は追いつめられ、やがてふたりは最後の瞬間に向かって走り出すことに。
■感想
外資系証券会社社長の息子であるスミオと、借金を抱えた飲んだくれ親父の娘であるジュリア。二人は育った環境の違いを乗り越え、愛を育んでいく…はずだったが、そうはうまくいかない。格差社会を如実にあらわすように、持つ者と持たざる者の差は一生埋まることはない。純愛物語において、障害が大きければ大きいほど盛り上がるのだろう。だとすると、ジュリアに降りかかる数々の厄災は、二人の関係を強固にするのに申し分ない。格差や親の反対を押し切り、幸せに向かって突き進む二人であればまた印象も変わっていただろう。しかし、本作はそうはならなかった。
ジュリアの環境をなんとかしようとするスミオ。恵まれた環境にありながら、無気力なスミオに一切感情移入できなかった。スミオが無気力な理由もはっきりとはせず、どこか甘えのようにすら感じられた。もし、本当にスミオがジュリアと幸せになりたいと願うのなら、様々な選択肢があっただろう。その中でスミオとジュリアは一番安易な方法を選んでいる。作者はこのスミオというキャラクターをあえてこのような煮え切らないキャラクターにしたのだろう。格差社会の裏に潜む、別の意味での弊害を表現したかったのだろうか。
出会いと別れ。二十歳ですべてを悟ったように、究極の選択をしてしまう二人。一時の気の迷いではないというように、様々な方策が練られているが、どれも曖昧なような気がした。もっと二人が幸せになる手段はあっただろう。ジュリアがたとえ不幸を呼び寄せる女だとしても、それに負けないのが男ではないだろうか。なんてことを思うあたり、二十歳ではないのだろう。二十歳の青臭さと、未熟さ。そして、格差社会を言い訳に安易な手段にでてしまう若者に警告の意味も含まれているのだろうか。あえてこのようなパターンにしたような気がする。
美しい純愛とは思わない。この結末にも美しさは感じない。
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