カッコウの卵は誰のもの 東野圭吾


2010.11.22  才能はいったい誰のもの? 【カッコウの卵は誰のもの】

                     
■ヒトコト感想
才能とはどういったものなのか。人の才能の意味について考えさせられる作品だ。仮に競技なり分野に対しての才能があったとしたら、その競技や分野に興味をもつのが当たり前だと思っていた。もし、才能はあるがまったく興味を持たなかったらどうなるのか。人の才能というのはDNAですべて判別でき、才能を伸ばすことで、すばらしい人物ができあがる。それはまるでサラブレッドのように、人を選別することになる。本作を読んで真っ先に感じたのは、才能とはいったい何なのかということだ。才能は遺伝するのか、親子とはいったい何なのか。物語自体は才能ある娘が自分の娘ではないという事実をおそれ、苦悩する男の話だが、母親が誰なのかという部分が二転三転するのはさすがだ。ある程度の予想を裏切る結果となっている。

■ストーリー

スキーの元日本代表・緋田には、同じくスキーヤーの娘・風美がいる。母親の智代は、風美が2歳になる前に自殺していた。緋田は、智代の遺品から流産の事実を知る。では、風美の出生は? そんななか、緋田父子の遺伝子についてスポーツ医学的研究の要請が……。さらに、風美の競技出場を妨害する脅迫状が届く。複雑にもつれた殺意……。

■感想
本作のように、最初から謎が浮かび上がってくると、その謎の結末を予想してしまう。結果的に、ことごとく外れることになるのだが、心地良い裏切られ方だ。スキーの才能溢れる風美の母親はいったい誰なのか。父親である紺田が想像する母親像をそのままなぞり、謎を予測していく。倫理的な問題や正義感、そして偶然にも風美に紺田と同じようにスキーの才能があるということに、遺伝とはなんなのかを考えてしまう。実の親子ではないが、限りなく親の才能を受け継いでいるように見える。そうなってくると、本当は親子ではないのかとすら思ってしまう。

風美とは別に、才能はあるがその競技に興味をもてない少年が登場してくる。物語にはなんの関係もないように思われるが、実は重要な役割を果たしている。この少年が、才能と興味がかけ離れた人物であり、そのため才能とはいったい何なのかということを考えてしまう。ミステリー的な要素として風美を脅迫する手紙や、骨髄移植を待つ異母兄弟の存在など、複雑な伏線が多数用意されている。いったいどういった血縁関係があるのか。才能とはいったい誰のものなのか。作中ではDNAを調べ、科学的根拠から才能を発掘している。遅かれ早かれ現実でもそうなると思うが、行き着く先は遺伝子レベルでの人の優劣を決めてしまうという恐ろしい社会になるように思えた。

作者の着眼点は相変わらずすばらしい。才能と血縁。そして、力を発揮するのが必ずしも才能があるからとは限らない。才能ある娘を持った父親の苦悩は痛いほどよくわかる。二十年近く一緒に生活した娘が実は赤の他人であり、実の父親が娘を取り戻そうとやってくる。ミステリーというよりも、考えさせられる部分が多い。血のつながりがあったとしても、科学的に間違いなく親子関係だったとしても、赤の他人同士の親子の方が強い絆で結ばれる場合がある。すべてが才能で決まる世界というのはありえないが、現実としては目を背けられない部分だというメッセージを強く感じた。

文才がないと嘆いていた作者がこれだけヒット作を連発しているのだがら、本作の内容とは若干矛盾しているような気がした。



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