ブラックボード-背負う人-


 2010.7.24  黒板を背負って歩く衝撃 【ブラックボード-背負う人-】  HOME

                     

評価:3

■ヒトコト感想
黒板を背負い岩だらけの山を歩くシーンは壮絶だ。まず最初に思うのは、先生とはこういうものなのか?なぜこうなった?黒板などどうでもよくないか?ということだった。現実に存在するのかわからないが、黒板を持っているということが教師としてのステータスなのかもしれない。食べ物を得るために生徒を捜し歩く毎日。イランとイラクの国境で生きるのもままならない生活の中で、教育にどれほどのウェイトがかけられるのか。一番インパクトがあるのは、偶然であった子連れの女性とその場で黒板を結納品として結婚してしまうというくだりだ。生きるためには何でもありな世界。砂だらけの世界では、教育よりももっと価値のあるものがあるのだろうか?

■ストーリー

爆撃により学校を失い、黒板を背負って村々を訪れ、子供たちに読み書きを教える教師たちと人々の心の交流を描く。

■感想
教育者としての理念だとか、高い志などお構いなし。読み書きができ黒板を背負っているということが教師の証なのだろうか。戦時下のイラン、イラクの故郷では生きるためにだけ人は力を使う。食べ物を手にするために何かをする。教師というのがただ食を得る手段でしかなく、教育も何も受けていない子供に字を教えようとする。過酷な現実を表現しながら、生きるためには教育などに関わっている暇などないと思わせる流れがある。子供を探し歩き、仕事を探し続ける教師というのは、なだか風景にそぐわない人物に思えて仕方がない。

黒板を背負い歩く中で、村から逃げ出した一団に出会う。そこでも、食べ物を得るため子供を探しまわる。強烈なインパクトがあるのは、子連れの未亡人といきなり結婚してしまうということだ。黒板を結納品として結婚する。そこに何か大きな意味があるのではなく、ただ養っていくという決まりだけで結婚が成立してしまう。黒板を背負いながらいつの間にか子持ちになってしまった男。制度的なものよりも何でもありなその雰囲気がすさまじい。生きるためにはどんなことでもする。どういった状況なのかよくわからないが、21世紀ではない、遥か昔のことのように思えてしまう。

国を強くするには、まず教育が大事だというのはよく言われることだ。ただ、教育以前に環境が整っていなければどうにもならない。密輸を繰り返しながら日々の生活を続ける子供たち。そこには黒板を背負って子供たちに読み書きを教えようとする教師は、滑稽にしかうつらないのだろう。黒板を背負い旅をする教師。黒板があるということで、かろうじて教師と認識できるが、やっていることは浮浪者と変わらない。こんな現実があるのかと目を疑い、壮絶な世界をただ見つめるしかない。日本に生まれてよかったとしみじみ思ってしまった。

いったいいつの時代なのだろうと一瞬考えてしまうが、現代の話なのだろう。



おしらせ

感想は下記メールアドレスへ
(*を@に変換)
pakusaou*yahoo.co.jp