KYOKO 村上龍


2009.4.27  善意の人々に助けられ 【KYOKO】

                     
■ヒトコト感想
作者の今までの作品と比べるとずいぶんアクがない。ついてこれない人を置いてけぼりにする強引な雰囲気もない。作者のイメージからは程遠い作品といっていいだろう。それはつまり一般受けしやすいということと、誰でも簡単に物語りに入り込むことができるということだ。映画原作となった本作。内容からしてロードムービー的になるのは容易に想像できる。ダンスを踊る主人公。エイズの末期患者を真っ赤なバンに乗せて旅に出る。映像が頭の中に思い浮かぶようだ。キューバとダンス。主人公のキョウコはとても健全で健康的だ。いつものSMや快楽に陥る描写が一切ない。ちょっと物足りなくもあるが、これはこれでよい。登場人物たちがすべて善意によって動かされているというのも作者にしては珍しいことだ。

■ストーリー

基地の町で育ったキョウコは黒人米兵ホセからダンスを習った。それから十三年後、彼女はホセに会いにNYへ。ホセはキューバ系で、やっと探し当てた時は末期のエイズで死にかけていた。彼の願いは故郷に戻ること。彼女はホセを乗せハンドルを握り、南への旅をはじめる。差別的な眼差しの中でキョウコを癒してくれるのは、エネルギッシュで、ソフィスティケイトされたキューバのダンスだった。

■感想
最初に違和感を感じたのはKYOKOがなぜそこまでホセにこだわるのかということだ。ホセに会いたいという気持ちはわかる。しかし、その後、ホセの状況を知ってから、マイアミまで連れて行こうとする気持ちが疑問に思った。そのため、なんのために、この遠い道をひたすら進んでいるのかということは、終始心のどこかでひっかかっていた。ただ、純粋にダンスが好きな健康な女の子がこれほど無謀なことをするだろうか。必然性がないことには、リアル感はわいてこない。ただ、もともと作者の作品にそれほどリアル感をもとめているわけではないので、それは特に問題とはならないだろう。

黄色人種としての差別的視線。それはかならずあることだろう。さらには末期のエイズ患者をつれているということで、様々な困難が二人の前に立ちふさがる。しかし、そこは善意の第三者たちによって助けられ、なんとか旅を続けることができる。あまりにも都合が良すぎて、善意に助けられるというのはわかっていても気持ちがよい。そのため、なんだかものすごく健全的な作品のように思えてしかたがなかった。これほどさわやかで、後味の良い作品というのも、もしかしたら久しぶりかもしれない。爽快感はないが、それとは違う、すっきりとしたミントのような香りが漂うようだ。

典型的な日本人とは違った描かれ方をするKYOKO。足が長く肌が白い。普通ならば日本人が白人に対して思い描くようなイメージをKYOKOはもっている。それは出会う人すべてに同じようなイメージを植えつける。典型的日本人でないことが物語を円滑に進める上で重要なことなのだろう。旅先で出会う黒人の子供、セレブな夫婦たち、そして、偏見的な視線を投げつけるホテル人々。出会う人をKYOKOの魅力で魅了したかと思えば、ホセのエイズという偏見でそれらを打ち消す。旅の障害としてこのホセの病気は常に付きまとう。エイズの怖さを忘れている今では、逆に新鮮に感じてしまう。

村上龍作品の中では一番映画化しやすい作品なのかもしれない。



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