地球で最後のふたり


2008.4.1 タイの中の静かな空間 【地球で最後のふたり】

                     

評価:3

■ヒトコト感想
浅野忠信が物静かで几帳面、それでいて切れるととんでもないことをやらかすというのはイメージどおりだ。タイのバンコクで自殺しようとする男。バンコクという土地柄の特徴として、本来ならにぎやかで蒸し暑そうで騒がしいイメージのはずだが、それらがケンジの周りには一切無い。自殺、そして綺麗好き。あっさりとヤクザを殺したりと、どこか北野映画を思い起こさせるのだが、それとも違う。ぼんやりとバンコクで過ごすケンジと現地のタイ人女性イノ。この二人の関係も静かだ。「地球で最後のふたり」というタイトルは、バンコクという騒がしい土地であっても、二人の空間だけは、最後に残された聖地のように感じる空間なのかもしれない。

■ストーリー

バンコクの日本文化センターに勤めるケンジは、毎日自殺を考えている。今日も部屋で首を吊ろうとしていると、日本でトラブルを起して逃げてきたヤクザの兄のユキオがやってきた。一方、まもなく大阪へ働きに行く予定のタイ人女性ノイは、男の問題で妹のニッドとケンカをしてしまう。車を飛び出したニッドの目の前には、川に身を投げようと思案しているケンジの姿があった…。悲劇がきっかけとなり、ケンジとノイは出合い、2人のストーリーが始まった。

■感想
物語の冒頭は、なぜケンジは自殺しようとするのか、何か問題でもあるのか、そればかりを考えていた。そして、ケンジの自殺癖がおさまると、今度はタイ人女性のイノとの生活が始まる。物静かな始まりと無気力なケンジの行動から、人生に何の楽しみも見出せず、悲観して自殺しようとする。そして、そこに潤いを与える女性と出会う、なんて流れなのかと思っていたが、そうではなかった。綺麗好きなケンジとイノの心のふれあいがあるわけではないのに、いつの間にか距離が縮まっている二人を描き、そして、最後は大胆な流れへともっていく。自殺の原因は最後まで良くわからなかったが、結論を求めるという作品ではない

どことなく、北野作品に似ていると感じたのは、銃撃戦直前の一瞬止まる場面や、肝心な銃撃戦を絶対に映さず、あとにはただ、死体が残るだけという部分だろうか。終始物静かな流れなのだが、そこに何かを見出すというのはない。イノにはイノの生活がありながら、全てを捨てて日本に出稼ぎに向かう。方やケンジはヤクザに追われ、タイへ逃げ帰る。自殺する理由がヤクザに追われているからではないだろう。

「地球で最後のふたり」というタイトルと内容がどの程度リンクしているのかわからないが、タイが舞台ということに何か意味があるのだろう。ラーメンをすするタイ人と日本人。心にぽっかりと穴が開いた二人が、いつの間にか共同生活をする。ゆっくりとした時間の流れのなかで、几帳面な男が部屋を掃除する音だけが響く。精神に異常をきたした人物のようにも見えるが、まっとうな人間にも見える。主人公であるケンジの表情にほとんど変化はないのだが、場面場面でしっかりと心情が表れているように感じた。

タイのバンコクが舞台というのが一風変わっているのだろう。



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