2006.7.1 人に対して優しくなれる 【塩狩峠】
ONT color="#000000" size="3">■ヒトコト感想
人に優しくなれる。本作を読むと主人公の信夫の行動一つ一つに心を打たれる。なんでもない男だった信夫がキリスト教と出逢いそしてクリスチャンになる。体の弱いふじ子を慈しむ信夫の気持ちとそれに答えるふじ子。周りの人間達の心の温かさややさしい気持ち。口調も丁寧で他人行儀に思えるが、それが気持ちの優しさをより強調しているようにも感じてしまう。信夫とふじ子には幸せになってほしいと願うのだが、その願い虚しく事故が起きてしまう。分かっていたことなのだがとても悲しくなってくる。信夫の自己犠牲云々よりもふじ子と信夫が最後の最後まで寄り添うことができなかったことが無性に悲しく心に残った。
■ストーリー
結納のため札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車が、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れ、暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた…。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説。
■感想
成人した信夫の完璧なまでの聖人ぶり。絶対にありえないと思う反面、こんな人もいるかもしれないと思ってしまう。物語の中での信夫は紛れもなく実在し、そしてふじ子に対して愛を貫いている。正直、最初のころはどこか冷めた目で読み進めていた。あまりに完璧すぎる信夫に対して現実感がわかなかったからだ。
物語が進むにつれて、作中の信夫が周りの人間から好かれていくのと同じように、自分の中でも信夫に対して好感を抱いているのがわかってきた。虫唾がはしるような聖人ぶりのはずなのに好感をもてるのはなぜだろうか。おそらく周りの登場人物達が、それを普通に受け止め、さげずむ人もいれば、絶賛する人もいる。そんな当たり前の日常も描かれていたので、単に綺麗ごとだけではないという印象からそう思ったのだろう。その思いから自分の中でも人に優しくしようという気持ちがわいてきた。
客観的にみると不幸な境遇のふじ子に対する信夫の思い。二人の関係をずっと読んでいると、この二人には絶対に幸せになってほしいと強く願ってしまう。終盤まで流れはどんどんと良いほうに進んでいくのだが、僕の心の中には、絶対にこれだけでは終わらずに、最後にものすごい衝撃が待っているんだという覚悟のようなものがあった。ふじ子と信夫が幸せになる直前にそれが起こるのだが、その際の信夫の自己犠牲精神は確かにすばらしいと思うがやけにあっさりとした印象をうけた。
事故での信夫の行動や考えよりも、結局はふじ子と信夫が幸せになれなかったという悲しみの方が強かった。できることなら、ありえないのだがこのまま平穏無事に二人には幸せになってほしいと願っていた。信夫の自己犠牲よりもふじ子の気持ちを考えると、なんだかとてもやりきれない思いが心に残った。
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