2005.12.5 久本雅美の標準語・・ 【理由】
評価:3
■ヒトコト感想
直木賞受賞作である原作は読んでいるのだが、その時点でかなり複雑な物語だという 認識を持っていたので、それを映像化するにあたってどんな工夫で、
すっきりとわかりやすく見せてくれるのか楽しみだった。 多数の登場人物たちを整理するだけでも相当な労力を要するのに、
事件が複雑怪奇なミステリーとくれば本作のような方式をとらざるおえないのだろう、 どうにも説明口調なのが気になってしまった。
過去の回想がメインになるのでしょうがないのかもしれないが、 映像化するうえでその辺は独自の何か工夫があるのかと思った。
冒頭から登場する久本雅美の標準語に違和感をおぼえてしょうがなかったのは僕だけだろうか。
■ストーリー
ある大嵐の夜、東京・荒川区にそびえ立つ超高層マンションで4人の男女が惨殺された。 当初被害者たちはひとつの家族と思われていたが、捜査が進むにつれ、
まったくの他人同士であったことが判明する。彼らはいったい何者なのか。加害者は誰なのか。
そして関係者の証言が積み重なっていくうちに、驚くべき事実が明らかになる。 悲しい絆が解き明かす、その「理由」とは?
■感想
時間にして約3時間近くひたすら事件の詳細とそれにつながる人間関係が、 最初はおぼろげであったが、事実がわかってくるにつれて
一人ひとりのつながりが明らかになってくる。 原作の熱烈なファンというわけでもなく、ミステリー的に原作が
特に優れているという印象はもっていなかった。しかし、この物語を映画化すると聞くと、 いったいどうするのかという興味のほうが強くなり、見ずにはいられなかった。
原作ではそれほど気にならなかったのだが、映像化されると いったい誰が主人公なのかというのが無性に気になり次々とさまざまな人々が登場し、
自分の思いを話していく、一種のインタビュー形式なのだろう。 それが誰に対して(実際には刑事にという設定)のことなのか、
またそれを考察する人物が登場しないということに違和感を感じてしまった。
普通のミステリー小説ならば、凄腕探偵かもしくは刑事が登場し事件を解明していくというのが王道で それに慣れてしまっているからだろう。
時代設定は現代のはずなのだが、なぜか昭和のにおいを感じてしまった。
地域的なものもあるかもしれないが出てくる俳優たちにもその要因はあるのかもしれない。
超高層マンション近辺だけは近代的なのだが、それ以外の回想シーンでしばしば登場する下町風景は、 そこだけ昭和の時代にタイムスリップしたような印象を受けた。
登場人物達をいろいろな俳優が演じているが、中にはほんとにちょい役を 結構な大物が演じていたりするのでその辺を気にしながら見ていくのもいいかもしれない。
説明口調なのが気になるのだが、その主たる原因は最初に登場する久本雅美かもしれない。
彼女が慣れない標準語を話すたびに、それが耳につき、結局最後までその印象が残ってしまったのだろうか。
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