ニューヨーク・シティ・マラソン 


 2008.5.24  古いが新しさを感じる 【ニューヨーク・シティ・マラソン】  

                     

評価:3

■ヒトコト感想
いくつかの短編が収録された本作。物語の舞台は世界各地であり、主人公たちは様々な人種にわたっている。ニューヨーク、パリ、メルボルン。世界各地で繰り広げられる奇妙な物語。いつの間にか奇妙な世界に入り込む。最初はまったくの別世界だと思っていたものが、いつの間にか自然に入り込んでしまう。二千ドルを得るためにマラソンを走る女。これが何を表現しているのか、最初は意味がわからなかった。ただ、読んでいくうちに、自然に物語に入り込んでしまった。印象的な作品もあれば、まったく心に残らない、すぐに忘却のかなたに置き去りにされるような作品すらある。まったく別世界の話を読んでいると、その波長が合う合わないかが如実に現れると思う。

■ストーリー

ニューヨーク、リオ、香港、博多、フロリダ、メルボルン、コート・ダ・ジュール、パリ、ローマ。世界の都市は語られるのを待っていた。10年の時が熟成させた9つの果実。世界の都市小説集。

■感想
いくつかの短編の中で、最も印象に残っているのは、「ニューヨーク・シティ・マラソン」と「クレイジー・バタフライ・ダンシング・ナイトクラブ」だ。前者は二千ドルという大金に目がくらんで走りだした女が、次第に目的が別のものになっていく様を、しっかりと感じ取ることができた。タイムリーに自分が走っているので、気持ち的には共感できる部分がとても多かった。ただ、女を応援する周りの人々の描写がいかにも村上龍っぽいと感じた。さらりとした作品で終わることがない。どこか、アンダーグラウンドの部分は決して捨てきれない作者だ。

「クレイジー~」は本作の中では群を抜いて異質なものかもしれない。しかし、異質だが、ビジュアル的なイメージは一番しっかりとしており、衝撃的な印象を最も与えるのは本作だ。人によっては気持ち悪く思う羽虫の描写。作者の作品には良く出てくる気持ち悪さなのだが、それがしっかりと心に残っている。特別何かに引っかかったわけではないが、すぐに頭の中で映像が浮かび、なかなか離れることがなかった。ドラックをイメージさせるような作品でもある本作。芸術家が枯渇した才能をうらやむような作品にも感じてしまった。

本作自体の初出が80年代というのを感じさせない新しさはある。おそらく時代を感じさせる描写はあちこちにあるはずなのだが、それをまったく感じさせない。言い換えると、これを現代の物語だと言っても、まったく違和感がない。固有名詞に関してはさすがに無理があるが、それ以外は洗練された新しさというのを感じてしまう。濃い描写が時代を超えているのだろうか、もしくは、自分が作者の作品を読み慣れてきたというのもあるのだろうか。本作を作者の作品の中で、最初に読んでいれば、ここまで好意的に受け止めることはできなかったであろう。

短編としての衝撃度はかなりのものだ。



おしらせ

感想は下記メールアドレスへ
(*を@に変換)
*yahoo.co.jp