名もなきアフリカの地で


2005.10.18 差別などは存在しないはず 【名もなきアフリカの地で】

                     

評価:3

■ヒトコト感想
ナチスによるユダヤ人迫害。逃げるようにアフリカの地に突然追いやられるのだが、
そこでとまどうのは大人だけだ。
子供はすぐに周りの環境に馴染み現地の子供達と仲良くなっていく。
これを見てると肌の色がどうとかってのは関係ないように思えてくる。
大人になる過程で外部からの余計な情報から差別が生じるのだろう。
アフリカでの大自然の映像もすばらしいが、なにより、アフリカに逃げ込んでも
料理人を雇うという行動に驚いた。

■ストーリー
1938年、ナチスの迫害から逃れるためにアフリカに来た少女レギーナの一家。
お嬢様育ちの母は我慢ができず、父親とのいさかいが絶えなかったが、
レギーナは農場暮らしにすぐに慣れ、料理人オウアと仲良くなり、アフリカの地に溶け込んでいく。

■感想
最後まで母親の行動が何もかも目についてしょうがなかった。希望を持ち常に前向きに生きる父親と
おおらかに現地の子供達と触れ合いながら成長していくレギーナに比べて、
あまりにも幼稚すぎるし、わがまますぎる。
アフリカの地に逃げ込んでまでも、自分で料理をすることなく、召使いのように黒人を扱う。
それと対比するように父親とレギーナは黒人に対して主従関係はあるのだが
どこか同士のような友達のような感覚で接している

ドイツからアフリカの台地での生活は相当な落差なのだろう。
母親の行動もわからなくもないが、郷に入っては郷にしたがえという言葉があるように
柔軟な対応をするべきだったのだろう。

逆にレギーナはすばらしさばかりが目に付いてしまった。
ユダヤ人として迫害をうけ、アフリカの地に降り立つが
学校ではイギリス人達にユダヤ人として差別をうけつつも強く生活している。
選民意識というのはどこにでもあるのだろう、そこに異質な物が混じるとどうしても排除したくなるか
自分たちの優位性をアピールしたくなるのが人間の性だ。

オウァとの別れの場面では心打たれた。その場に母親がいなかったというのもあるが
オウァの犬を引きながら去る後ろ姿はもの悲しげではあるが、どこか仕事をまっとうし、
満足しているような印象も受けた。

黒人の子供達とレギーナとの交流が物語っているように、黒人、白人という人種の違いは
あるようでないのだということを思い知らされた作品だ。



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