もの食う人びと


2006.4.6 生きるために食らう 【もの食う人びと】

                     
■ヒトコト感想
文章において食事の描写は難しいと思う。何をどう書けば伝わるか、読者にその食事風景を想像させると共に味を思い浮かべさせなければならない。その点に関しては本作にはその食事の凄まじさと匂い立つような味さえも伝わってくるようだ。訪れた国独特の文化や風習、国の状況や経済状態によって食事風景が変わるのはあたりまえのことだ。しかしその凄まじさは想像を絶しており、今の日本に生まれた幸せをかみしめざる終えない。生きるために食べる、それが食事の本質だということをまざまざと思いしらされた作品だ。

■ストーリー

人は今、何をどう食べているのか、どれほど食えないのか…。飽食の国に苛立ち、異境へと旅立った著者は、噛み、しゃぶる音をたぐり、紛争と飢餓線上の風景に入り込み、ダッカの残飯からチェルノブイリの放射能汚染スープまで、食って、食って、食いまくる。人びととの苛烈な「食」の交わりなしには果たしえなかった

■感想
人間の三大欲求のひとつである食欲。食うことへの凄まじい執念はわかりきったことだ。本作は有名な作品であるので、多くの人が読み「あー、他の国は大変だなぁー。日本に生まれてよかった」という感じの感想を持つのだろう。現に僕自身もそう思った。しかし日本にいればそのほかの悩みがある、人間関係の悩みや将来の悩み。ウガンダやソマリアではそんな悩みはないのだろう。そこにあるのはただ生きる為に食うということのみだ。食べることさえできればそれで悩みが解決する。極論だがある意味幸せなのかもしれない。

作者があちこちの国へまわり、食事をする。それも決まりきった外国人用のおもてなしではなく、その国の人々が普段から食べている食事を現地の人々と同じように食らう。驚いたのは作者のその柔軟性というか対応力があることだ。いきなり見ず知らずの日本人が尋ねてきたからといって簡単にホームステイさせてもらえるだろうか、そこには本作には描かれていない何かがあったのかもしれないが、現地の人々と食事を共にできるほど親密になれたのは作者の人柄なのかもしれない。

本作が非常にセンセーショナルに感じたのは、読者が登場する食事に対して尋常ではない感想を持つからであり、それが普通の食事であればこれほど話題にはならなかっただろう。日本の食事と比較すると当然ありえないものであり食べようとも思わない。それが普通の食事である現地の人は、本作が日本で話題になりましたと聞いてどう思うのだろうか。生きる為に食う。そう思っているのは日本に住んでいる僕達だけかもしれない。



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