2007.11.24 恋なのか、それとも歌声か 【耳に残るは君の歌声】
評価:3
■ヒトコト感想
ラブストーリーなのだろうか、それとも戦争の悲劇を描いているのだろうか。幼いフィゲレがユダヤ人ということで、名前を変えられ、母国語を失い、偽りの姿で歌手として生活する。不遇な境遇の中で必死に生きる姿を表現しているのかもしれないが、なんとなく、恵まれているように感じてしまった。辛い生活というイメージが少なく、歌手としての実力と恋と人種の問題、それらが入り混じり複雑に、そして焦点がぼやけたようになっているのかもしれない。単純なラブストーリーではない。
■ストーリー
時は20世紀前半、ロシアに生まれたユダヤ人少女フィゲレは幼いころに父と生き別れ、ユダヤ人迫害を逃れてイギリスに移住し、スージーという英国風の名前に変えられ、母国語を使うことも禁止される。やがて成長したスージー(クリスティーナ・リッチ)は、パリで歌手として生計を立て始めるが…。
■感想
戦時中のパリ。ユダヤ迫害に苦しむフィゲレだが、歌手として生計を立てている。フィゲレのユダヤ人としての迫害風景はほとんどない。歌を生業としながら、歌に惹かれると共に、ジプシーとの恋に落ちる。ユダヤ人というと、どうしても強制収容所に送られ、辛い人生を送るというイメージがあった。それと比べると、どうしてもフィゲレの生活は恵まれているように見えてしょうがない。
父親と離ればなれになりながら、歌う。この歌こそが、フィゲレのアイデンティティーであり、悲しさを表現する方法なのだろう。ジプシーと恋に落ち、歌を歌い、自分の気持ちを表現する。オペラ好きにはたまらない展開かもしれない。クリスティーナ・リッチの透き通るような歌声は、聴くものの心を純粋な気持ちにさせる何かがある。ただ、ユダヤ人の迫害を真に表現しているかというと、そうは感じなかった。
美しい歌声と親子愛。もともとは父親を探す旅であったのが、いつの間にか恋人の存在によって、それらがかき消されている。なんだか、歌声は印象深いが、結局何を言いたかったのかイマイチよくわからなかった。父親と恋人と歌。何が一番大事だったのだろうか。
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