メゾン・ド・ヒミコ


2006.5.10 ゲイという趣向を超えた 【メゾン・ド・ヒミコ】

                     

評価:3

■ヒトコト感想
出てくる男はほぼゲイのみ、それもお世辞にも綺麗とはいえないおじさんばかり。ゲイと女の間には深く長い溝がある。そう感じさせられる作品だ。男とゲイの関係ならばある程度想像はつく、しかしそれが女とゲイとなると、どうなるのか。友達同士になるのか、または恋人を奪い合うライバルになるのか。そんな関係を不細工な女(という設定)とゲイ達で表現している。ある意味過激だが、とても心温まる作品。

■ストーリー

ゲイ専用の老人ホーム。ホームのオーナーであり、末期ガンで死が間近に迫るヒミコ、彼を見守る恋人の青年・春彦(オダギリジョー)、そしてヒミコの実の娘・沙織(柴咲)。3人が織りなす人間関係は、屈折しており複雑だ。しかしゲイであり世間とはかけ離れた生活をしているホームの住民らとの交流で、少しづつ沙織はホームの人々を理解しようとするのだが・・・・

■感想
身近にゲイがいたらまた違った見方をしたかもしれない。しかし幸運にも?そうではなかったので本作をエンターティメントとして楽しく見ることができた。ゲイを家族に持つという意味。カミングアウトされた家族の気持ち。それをすべて沙織が代弁しており、その怒りや苦悩をどこにぶつけていいかわからないというイライラ感が印象に残っている。

不細工な女である沙織が持つゲイに対する気持ちはすごく当たり前のことだろう。いたずらをする中学生もそうだろう。しかしそれはゲイという趣向に対することで一人の人間として否定しているわけではない。沙織がホームの人々と打ち解けていくうちに、ホームの人々の良さに気づいて、段々と仲良くなっていく。人間的なすばらしさが最終的には
ゲイという趣向すら超えるという感じなのだろう。

ゲイの親父達の中に一人だけ青年ゲイとして登場する晴彦。晴彦がいることで沙織自身がゲイをどのように見ていいのか、単純に自分には関係のないオブジェとして見ることができない理由だと思う。晴彦の存在が沙織の女を意識させ、ゲイと女の関係に深い溝ができる要因を表しているようだった。

登場人物達がクセがあり強烈なのだが、過激な作品のわりに見終わってからほのぼのとした印象が残るとてもよい作品だと思う。



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